岡島橋とは? わかりやすく解説

岡島橋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/14 08:40 UTC 版)

岡島橋
揖斐川に架かる国道417号の岡島橋
基本情報
日本
所在地 岐阜県揖斐郡揖斐川町
交差物件 揖斐川
路線名 国道417号
建設 2007年 - 2012年
開通 2012年8月22日
座標 北緯35度28分53.2秒 東経136度34分10.7秒 / 北緯35.481444度 東経136.569639度 / 35.481444; 136.569639座標: 北緯35度28分53.2秒 東経136度34分10.7秒 / 北緯35.481444度 東経136.569639度 / 35.481444; 136.569639
構造諸元
形式 4径間連続非合成箱桁橋
設計活荷重 B活荷重
材料 鋼(RC床版)
橋桁重量 706t
全長 192.0m
12.8m - 15.8m
最大支間長 63.0m
支間割 54.1+63.0+48.0+25.1m
関連項目
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式
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国道417号標識

岡島橋(おかじまばし)は、岐阜県揖斐郡揖斐川町揖斐川に架かる国道417号である。

約200m上流には西濃用水岡島頭首工(前島橋)がある。1941年昭和16年)に架設された橋は[1][2]老朽化が進んで補修を繰り返しており、幅員が狭く大型車のすれ違いが困難で大型車の交互通行に伴う渋滞も発生していた。また、取付道路の歩道が未整備だったが、交通量も多く危険な状態となっていたため、2007年平成19年)度から道路改築事業(社会資本整備総合交付金)で約20m上流に新しい橋を架け替えて前後の取付道路の整備も行われ、2012年(平成24年)8月22日に供用開始された[3][4]

なお、1885年明治18年)に架けられた当時は「榮久橋」という名称で、揖斐川上流で最初に架けられた橋だったが[5]、郡費で架け替えられた際に岡島橋に改名されている。

概要

右岸から望む岡島橋、片側1車線の車道の両側に歩道が配置されている(2015年9月)
岡島橋の銘板
2代目と3代目の岡島橋(1941年)。左側が2代目、右側が3代目
3代目の旧岡島橋。揖斐川右岸上流より撮影(2007年6月当時)
  • 区間:揖斐郡揖斐川町下岡島 - 同町三輪地内
  • 延長:192.0m(570m:前後の取付道路を含む)
  • 幅員:総幅員12.8m - 15.8m(車道3.0m+路肩0.5m×2、両側に2.0m幅の歩道
  • 支間割:54.1+63.0+48.0+25.1m
  • 橋種:B活荷重
  • 鋼重:706t
  • 鋼種:耐候性鋼SMA490W
  • 床版:RC床版
  • 架設工法:トラッククレーン+ベント工法
  • 上部工:4径間連続非合成箱桁橋
  • 下部工:逆T式橋台・壁式橋脚
  • 基礎直接基礎・場所打ち杭基礎
  • 全体事業費:31億円
  • 計画交通量:11,000台/日
  • 事業経緯
    • 2007年(平成19年)度:事業着手
    • 2008年(平成20年)度:用地買収着手
    • 2009年(平成21年)度:工事着手
    • 2012年(平成24年)8月22日:供用開始

旧橋の諸元

榮久橋

初代

  • 橋梁形式:木橋
  • 延長:94間(約170.9m)[注釈 2]
  • 幅員:2間(約3.64m)
  • 経費:11,149円
  • 供用:1903年(明治36年)

2代目

3代目

歴史

明治の初め頃まで、揖斐川上流部には橋が架かっておらず、現在の岡島橋付近は「上岡島の渡し」「三輪の渡し」と呼ばれる渡し船で右岸と左岸が結ばれていたが[5]1885年明治18年)の揖斐街道改修に伴い、官許を得た有志者によって榮久橋(栄久橋)という賃取橋が架設された[8]

1894年(明治27年)に権利者の都合による橋の売却話が持ち上がると、買収者による橋賃(通行料)の増額を恐れた地元有志者が資金4180円を募集して「揖斐榮久橋合資会社」を組織し、同年7月に榮久橋の所有権を取得した[9]。しかし、翌1895年(明治28年)の出水で橋の半分が流出し、次いで1896年(明治29年)に橋の全部が流出したため、揖斐榮久橋合資会社は仮橋を設計して出願したところ、民法実施により商事会社は営利を目的とするとの理由で、民事社団に組織変更して出願するよう指示を受けて却下された[8]

そのため、合資会社を解散して民事社団を組織するよう計画したところ、1899年(明治32年)4月に郡令第5号「道路費支弁規則」が発布され、その第2条で橋梁も道路の一部として郡の主担とされ、公費による建設が可能となった。そこで同年5月に合資会社社長・松井彦兵衞は「岡島橋架設願」を提出し、本橋が郡主担に採用された際は如何なる場合でも他の営業者に譲渡しない事、1年以内に仮橋、5年以内に本橋を架設する事、郡主担である以上は無賃で渡橋とする事、天災等により橋が流出・毀損して仮渡船となっても3ヶ月を超えずに仮橋が架設される事を条件に、合資会社が架設した仮橋の足場及び本橋橋台等を全て差し出すので、速やかに郡主担で本橋の架設を行うように請願した[8]

その結果、1903年(明治36年)に郡費による岡島橋(初代)が竣工したが[10]1912年大正元年)9月の暴風雨で流出した[11]1913年大正2年)7月には木造トラス・木桁板橋の岡島橋(2代目)に架け替えられたが、交通量の増加に伴って橋の傷みが著しく進行し、橋脚は掘立橋脚、橋桁は添桁で補強工事を施して使用していた。また修繕に伴う交通禁止が余儀なくされていたため、1935年(昭和10年)に当時の揖斐町長・安田賢三が岡島橋の架け替えを陳情した[6]

その後、揖斐川上流改修工事の進捗に伴い、その附帯工事として岡島橋を架け替える必要が生じたのを機に架橋計画を行い、1938年(昭和13年)10月に起工、満3年後の1941年昭和16年)に竣功した[2]

なお、1937年(昭和12年)3月発行の雑誌土木工学』によると、長良川筋の忠節橋と合渡橋、揖斐川筋の岡島橋の3大橋は昭和12年度から4ヶ年計画で施工架設されることに決定し、岡島橋の見積延長幅員は、工費15万円、延長212 m、幅員5.5 mとされていた[7]1940年(昭和15年)12月9日の『岐阜県会速記録』によると、橋梁架替を行っている忠節橋、岡島橋、合渡橋の工事が遅れている旨が記録されており、岡島橋は下部工事は即に竣工しているが、中部工事に対しては鉄材の入手が遅れていると記されている[12]

こうして1941年(昭和16年)に、鉄筋コンクリート製の岡島橋(3代目)が供用開始されたが[注釈 6]、この橋も老朽化が進んで補修を繰り返すようになり、幅員が狭く大型車の交互通行に伴う渋滞も発生していたため、2007年平成19年)度から道路改築事業(社会資本整備総合交付金)で約20m上流に新しい橋を架設し、併せて前後の取付道路の整備も行い、2012年(平成24年)8月22日に岡島橋(4代目)が供用開始された。

沿革

隣の橋

(下流) 神戸大橋(ごうどおおはし) - 平野庄橋 - 三町大橋 - 岡島橋国道417号) - 前島橋(岡島頭首工) - 井ノ口橋 (上流)

脚注

注釈

  1. ^ 土功 著大橋梁ノ長及幅」『岐阜県統計書』(明治19年)、178-179頁。 などでは1886年(明治19年)5月となっている。
  2. ^ 土功 著大橋梁」『岐阜県統計書』(明治42年)、60頁。 『揖斐川町史 通史編』642頁「主な橋梁」では96.7間(約175.8m)と記されている。
  3. ^ 土功 著大橋梁」『岐阜県統計書』(大正元年)、40頁。 『揖斐川町史 通史編』642頁「主な橋梁」では115.0間(約209.1m)、同644頁では179.1mと記されている。
  4. ^ 経緯は不明だが土功 著大橋架」『岐阜県統計書』(大正14年)、14頁。 以降は、1913年(大正2年)の架け替えが無視されている。
  5. ^ a b 当初の計画では、工費15万円、延長212 mとされていた[7]
  6. ^ a b 『揖斐川町史 通史編』642-643頁。国土交通省の資料では「S14架設」、岐阜県の資料では「昭和14年架設」と記載され、1939年(昭和14年)架設とされているが、実際は 1941年昭和16年)架設が正しい[2]

出典

  1. ^ 岐阜県統計書 1950, p. 25.
  2. ^ a b c 『岐阜県治水史』 下巻、岐阜県、1953年3月25日、601頁。doi:10.11501/2465758 
  3. ^ 広報いびがわ 平成24年10月号』揖斐川町、2012年9月25日、6頁https://www.town.ibigawa.lg.jp/cmsfiles/contents/0000003/3535/4-7.pdf 
  4. ^ 岡島橋開通式典」『県政ニュース』岐阜県、2012年8月22日。オリジナルの2013年8月6日時点におけるアーカイブ。
  5. ^ a b KISSOこぼれネタ VOL.68揖斐川町特集号国土交通省中部地方整備局 木曽川下流河川事務所
  6. ^ a b c 「岡島橋架換方陳情書」『揖斐川町史 通史編』、644頁
  7. ^ a b 「岐阜縣三大橋の架設」『土木工学』第6巻第3号、工業雑誌社、1937年3月10日、84頁、doi:10.11501/1516823 
  8. ^ a b c d e f 「岡島橋架設願」『揖斐川町史 史料編』729頁
  9. ^ a b 「揖斐栄久橋合資会社契約書」『揖斐川町史 史料編』725-728頁
  10. ^ a b 「町史年表」『揖斐川町史 通史編』、年表12頁
  11. ^ a b 『大正元年九月二十二、三日暴風雨報告』岐阜県岐阜測候所、1913年5月2日、22,25頁。doi:10.11501/984661 
  12. ^ 「昭和十五年通常岐阜縣會速記錄 第拾參號」『昭和十五年通常岐阜縣會速記錄』、岐阜県、1940年12月9日、810-814頁、doi:10.11501/1454660 
  13. ^ 災害復興誌編集委員会 編『昭和34・35・36年 連年災害復興誌』岐阜県、1965年12月、213-214頁。 

参考文献

外部リンク





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