田中恒利とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 田中恒利の意味・解説 

田中恒利

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/23 18:05 UTC 版)

田中 恒利(たなか つねとし、1925年4月1日 - 2014年1月12日)は、日本政治家。元日本社会党衆議院議員(6期)。

来歴

愛媛県東宇和郡俵津村[1](現在の西予市明浜町出身)で、半農半漁の家に生まれる[1]。家業だけでなく、青年団活動においても活躍した[1]。 1953年に日本大学専門部社会学科を卒業。

政治家として

地元に戻り、愛媛県立宇和高等学校教諭、愛媛労農会議副議長を経て、1969年の総選挙で旧愛媛3区から社会党公認で立候補し初当選した。1972年1976年1979年の選挙にも3度出馬したが落選[2]した。 それを経て、1980年にはトップ当選[2]となった。

以来1993年まで当選を果たしたが、1996年に政界を引退した。同年勲二等旭日重光章受章[3]

政治家以外の仕事

政界引退後には、食糧難のアジア・アフリカの貧しい人たちに支援を送るために「食とみどり、水をまもる県労農市民会議」の議長を務めた[2]

人物

県民から「恒さん」の愛称で親しまれ[1]、社会党の「南予の顔」[1]となった。

2014年1月12日、老衰のため死去[4]。88歳没。

脚注

  1. ^ a b c d e 愛媛新聞(2014年1月13日付、5面)
  2. ^ a b c 愛媛新聞(2014年1月13日付、1面)
  3. ^ 「96秋の叙勲受章者 勳一等・勳二等」『読売新聞』1996年11月3日朝刊
  4. ^ 元衆院議員の田中恒利さん死去 旧社会党朝日新聞2014年1月13日閲覧

参考文献

議会
先代
左藤恵
衆議院内閣委員長
1994年 - 1995年
次代
大木正吾
先代
佐藤敬治
衆議院石炭対策特別委員長 次代
金子原二郎



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「田中恒利」の関連用語

田中恒利のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



田中恒利のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの田中恒利 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS