渡辺省一
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渡邊 省一
わたなべ しょういち
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| 生年月日 | 1930年4月21日 |
| 出生地 | 北海道美唄市 |
| 没年月日 | 2000年9月29日(70歳没) |
| 出身校 | 中央大学経済学部 |
| 前職 | 篠田弘作衆議院議員秘書 北海道議会議員 衆議院議員 |
| 所属政党 | 自由民主党(宮沢派) |
| 称号 | 従三位 勲一等瑞宝章 |
| 親族 | 長男・渡辺孝一(衆議院議員) |
| 内閣 | 宮澤改造内閣 |
| 在任期間 | 1993年6月21日 - 1993年8月9日 |
| 選挙区 | 旧北海道4区 |
| 当選回数 | 6回 |
| 在任期間 | 1979年10月7日 - 1996年9月27日 |
| 当選回数 | 4回 |
| 在任期間 | 1963年 - 1975年 |
渡邊 省一(わたなべ しょういち、1930年4月21日 - 2000年9月29日)は、日本の政治家。位階は従三位。
自由民主党衆議院議員(6期)。科学技術庁長官、総理府原子力委員会委員長を歴任した。前岩見沢市長で自由民主党所属の元衆議院議員、渡辺孝一は長男。
来歴・人物
美唄市立美唄国民学校、岩見沢中学校(現:岩見沢東高校)、中央大学経済学部卒[1]。衆議院議員・篠田弘作の秘書を経て、1963年から北海道議会議員を4期務め、1979年の第35回衆議院議員総選挙に旧北海道4区から自民党公認で立候補し初当選(同じ区で自由革新同友会新人高橋辰夫も当選)。以降連続当選6回。党内では宏池会に属し、北海道開発・自治政務次官などを経て、1993年6月から8月まで宮澤改造内閣の科学技術庁長官を務めた。小選挙区比例代表並立制に移行した1996年の第41回衆議院議員総選挙に北海道10区から立候補したが小平忠正に敗北し比例復活ならず落選。
2000年4月の春の叙勲で勲一等瑞宝章を受章[2]。同年9月29日、胸部大動脈瘤破裂のため死去。70歳没。死没日付をもって従三位に叙された[3]。
脚注
参考文献
- 日外アソシエーツ編『政治家人名事典』(紀伊国屋書店、1990年)
| 公職 | ||
|---|---|---|
| 先代 中島衛 |
第49代:1993年 |
次代 江田五月 |
| 先代 中島衛 |
第49代:1993年 |
次代 江田五月 |
| 議会 | ||
| 先代 伊藤公介 |
1993年 |
次代 嶋崎譲 |
| 先代 渡辺栄一 |
1991年 |
次代 草野威 |
| 先代 上草義輝 |
次代 麻生太郎 |
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固有名詞の分類
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