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小山谷蔵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/20 06:48 UTC 版)

小山谷蔵

小山 谷蔵(こやま たにぞう、1876年明治9年)8月10日[1]1951年昭和26年)1月1日[2])は、衆議院議員立憲政友会中正会立憲民政党国民同盟→立憲民政党)。外務政務次官内務参与官文部副参政官

経歴

和歌山県西牟婁郡三栖村(現在の田辺市)出身。1898年(明治31年)、東京専門学校(現在の早稲田大学)英語政治科を卒業。渡米して、コロンビア大学などで修士号と博士号を得た。帰国後、台湾総督府専売局で翻訳官を務めた。

1912年(明治45年)、第11回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。当選回数は合計で8回を数えた。その間、第2次大隈内閣で文部副参政官を、第2次若槻内閣で内務参与官を、米内内閣で外務政務次官をそれぞれ務めた。戦後、大政翼賛会の推薦議員のため、公職追放となる[3]

その他、城東土地会社・中野商店・三日月商事で取締役を務めた[4]

栄典

脚注

  1. ^ 『第拾壱回改選 代議士銘鑑』、国華新聞社、1912年。
  2. ^ 『政治家人名事典』
  3. ^ 総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、288頁。NDLJP:1276156 
  4. ^ 『人事興信録』
  5. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。

参考文献

  • 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。 
  • 森岩吉『国民同盟陣営展望』政界評論社、1934年。 
  • 『衆議院要覧(乙)昭和十二年十一月』衆議院事務局、1937年。 
  • 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。 





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