小山諏訪神社
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小山諏訪神社 | |
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所在地 | 熊本県熊本市東区小山6丁目25 |
位置 | 北緯32度50分13.4916秒 東経130度47分21.8904秒 / 北緯32.837081000度 東経130.789414000度座標: 北緯32度50分13.4916秒 東経130度47分21.8904秒 / 北緯32.837081000度 東経130.789414000度 |
主祭神 | 建御名方神 八坂刀売神 大国主神 |
社格等 | 旧 村社 |
創建 | 承平5年(935年)9月29日 |
主な神事 | 歳旦祭 (01月01日) 建国祭 (02月11日) 夏越大祓式(06月30日) 新嘗祭 (11月23日) |
小山諏訪神社(おやますわじんじゃ)は、熊本県熊本市東区にある神社。拝殿前には大楠の神木がある[1]。御本社は長野県の諏訪大社。
祭神
歴史
陣内志談[2][3]の中にある「合薩戦記」によると、天正13年(1585年)秋、薩摩の島津勢を迎えた合志氏は、石原狩野介吉利を総大将として今石城[4]に1,500人が立てこもり迎え撃つこととなった。薩摩勢の大将は勇猛で知られた川上左京で、2,500人の兵を率いて白川を挟み相対した。9月2日から3日にかけ死闘を繰り返したが、敵の計略に陥り全滅した。今石城主である石原狩野介吉利の墓は白川の対岸にあり、熊本市石原町に「自然石の墓」として建っている。
境内にある「壱千年祭記念碑」には、昭和9年(1934年) の千年祭に社殿が改修されたと記されている[5]。
小山諏訪神社の祠官は石原氏で、祠官としては天正の頃まで遡る。先祖は石原狩野介吉利であり、毎月1日と15日になると彼の墓には榊が供えられ供養されている[6]。
文化財

正平塔 ( 石燈籠 )
小山諏訪神社の境内、本殿の正面から向かって右奥の場所にある。
熊本市ホームページによると、中台は4段に刻み上げ、その上に後補の安山岩の火袋があり、上に笠石と宝珠が載っている。基礎には蓮華座があり、中台にも蕨手文が刻まれている。
竿石(塔身)の一面に昇天龍、他面に、釣り糸を垂れる仙人(神仙)らしき人物・山岳・河川など浮彫りされている。
残り一面に「大工 藤原助次」「正平十二年七月日」と刻まれ、1357年の作である。藤原助次は筑後から肥後にかけ活躍した大工で「坂下阿蘇神社三重層塔」「三ノ宮四方仏」なども手掛けた[1][9]。
祠官一族
交通
脚注
- ^ a b 128 小山諏訪神社と霜宮・正平塔
熊本市教育センター くまもと みて歩き 歴史読本 - ^ 陣内志談 : 附・合志史談 巻之1
国立国会図書館 請求記号 : 11-234
国立国会図書館 永続的識別子 : info:ndljp/pid/926942 - ^ 陣内志談 : 附・合志史談 巻之2、3
国立国会図書館 請求記号 : 11-234
国立国会図書館 永続的識別子 : info:ndljp/pid/926943 - ^ 今石城址 - 菊陽町役場
- ^ 託麻新八十八ヶ所めぐりにみる歴史的風致 220頁 - 熊本市役所
- ^ ( 9 ) 今石城とは - 熊日新聞 ( 熊本日日新聞 ) ワンネスnet
- ^ 正平塔 - 熊本市役所
- ^ 正平塔 - 全国文化財総覧
- ^ 正平塔 - 託麻まちづくりセンター
関連項目
外部リンク
- 小山諏訪神社のページへのリンク