福岡精一
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福岡 精一(ふくおか せいいち、安政2年4月8日[1](1855年5月23日) - 昭和17年(1942年)4月9日[2])は、日本の衆議院議員(立憲政友会)、弁護士。
経歴
三河国加茂郡殿貝津村[3](現在の愛知県豊田市)に福岡新蔵の二男として生まれる[1]。幼時は僧籍にあり、大沼枕山のもとで漢学を学び、旃檀林で原坦山について哲学を学んだ[3]。その後僧職を捨て、法学を学んで弁護士となり、岡崎町に事務所を開いた[4]。
1881年(明治14年)に自由党が結成されるとこれに加入し、以後自由党系政党の支部幹事を務め、愛知県会議員にも選出された[4]。
1902年(明治35年)、第7回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。第10回まで4回連続当選を果たした。その後も1912年(大正元年)に補欠当選を果たした[5]。
脚注
参考文献
- 鈴木蔵山『衆議院議員候補者評伝』山田丹心館、1902年。
- 人事興信所編『人事興信録 第3版』人事興信所、1911年。
- 『第二十七回衆議院重要問題名士演説集』帝国議会要史編纂所、1911年。
- 故福岡精一位記追賜ノ件(国立公文書館 アジア歴史資料センター)
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