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富島暢夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/29 16:40 UTC 版)

富島暢夫

富島 暢夫(とみしま のぶお、文久2年11月3日[1]1862年12月23日) - 昭和20年(1945年8月6日[2])は、日本の衆議院議員弁護士裁判官

経歴

安芸国安芸郡荘山田村(現在の広島県呉市)出身[1]1890年明治23年)、東京帝国大学法科大学英法科を卒業した[1]判事となり、大阪始審裁判所、松江地方裁判所横浜地方裁判所を歴任した[3]1894年(明治27年)、官を辞し弁護士を開業し[1]、後に広島弁護士会長を務めた[4]。また広島市会議員、同議長に選出された[3]

1902年(明治35年)、第7回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。第8回第9回第10回第13回と再選された。

脚注

  1. ^ a b c d 『新選代議士列伝』p.247
  2. ^ 衆議院・参議院編『議会制度七十年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1962年。
  3. ^ a b 『人事興信録』
  4. ^ 『衆議院要覧』

参考文献

  • 『新選代議士列伝』金港堂、1902年。 
  • 『衆議院要覧 下巻 大正六年十一月』衆議院事務局、1917年。 
  • 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。 





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