栗塚省吾とは? わかりやすく解説

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栗塚省吾

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/09 05:39 UTC 版)

くりづか せいご
栗塚 省吾
生誕1853年12月16日
日本 東京都
死没 (1920-11-02) 1920年11月2日(66歳没)
出身校大学南校東京大学の前身校の一つ)退学

パリ大学卒業

パリ政治学院卒業
職業判事弁護士衆議院議員地方議会議員

栗塚 省吾(くりづか せいご、嘉永6年11月16日[1]1853年12月16日) - 大正9年(1920年11月2日[2])は、日本司法官僚判事弁護士衆議院議員立憲政友会)。位階・勲等は正三位勲三等[3][2]

経歴

越前松平家の家老で越前府中(現在の越前市)を領した本多氏の家臣の子として、江戸の本多邸で生まれた。漢学を学んだ後、渡辺洪基英語を、村上英俊フランス語を学んだ。藩命で大学南校東京大学の前身校の一つ)に入学するが、1872年明治5年)に司法省明法寮に転じた。1875年(明治8年)、パリ大学に留学し、1878年(明治11年)に法学士の称号を得た。引き続きパリ政治学院で学び、1880年(明治13年)に卒業した。

帰国後、司法省書記官、司法大臣秘書官、法律取調委員会委員書記などを歴任。1886年には東京仏学校(現・法政大学)の創立に参画した。さらに1890年(明治23年)に司法省民事局長に就任すると、翌年には大審院判事に転じ、部長を務めた後、1898年(明治31年)に退官した。退官後は、弁護士を開業した。

1902年第7回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。その後も第8回第9回の総選挙に当選した。その他、本所区会議員に選ばれ、議長にも互選された[4]

栄典

位階
勲章

脚注

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  1. ^ 『日本人名大辞典』 2001年12月6日 講談社刊 ISBN 978-4-06-210800-3
  2. ^ a b 『官報』第2481号 「官吏薨去及卒去」 大正9年11月8日
  3. ^ 栗塚省吾特旨叙位ノ件
  4. ^ 『衆議院議員略歴』
  5. ^ 『官報』第907号「叙任及辞令」1886年7月10日。
  6. ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1890年12月28日。
  7. ^ 『官報』第3783号「叙任及辞令」1896年2月12日。
  8. ^ 『官報』第4570号「叙任及辞令」1898年9月21日。
  9. ^ 『官報』第2478号「叙任及辞令」1920年11月4日。
  10. ^ 『官報』第4350号「叙任及辞令」1898年1月4日。

参考文献

外部リンク





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