江藤新平左院時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 21:34 UTC 版)
7月、廃藩置県。1885年(明治18年)の内閣制まで存続する太政官制が確立。江藤の建議により、立法機関として左院設置。江藤は副議長(実質議長)。 8月、制度局を吸収合併。江藤時代の左院は期間が短く、民法典編纂の成果は不明。 同年、楠田英世が提唱し、後藤象二郎(断行派)や江藤、山内容堂らの賛同を得て、司法省内に法学研究考査の目的で明法寮設置。後の司法省法学校、東大法学部仏法科。 磯部四郎、熊野敏三、井上正一、栗塚省吾、岸本辰雄、宮城浩蔵(以上断行派)、木下広次(延期派)、関口豊、小倉久、加太邦憲が大学南校(後の開成学校、東大)から転学。 なお明法寮を明治5年創立とする文献もあるが、仁井田益太郎の調べでは明治4年9月太政官布告による。
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