江藤監督時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 09:36 UTC 版)
1975年 54人中17人が新戦力となり、新監督・江藤による打撃重視の豪快な打ち勝つ野球を目指す方針で、土井正博、白仁天らの打線は「山賊打線」と呼ばれ他球団の脅威となり、前期は2位としたものの、後期は打線に疲れが出て4位。通年では8年ぶりとなるAクラス入りで3位となり、土井は本塁打王、白が首位打者、東尾修が最多勝を獲得した。オフ、メジャーリーグで名将として知られるレオ・ドローチャーを監督に招聘、江藤は選手兼打撃コーチという実質的な「降格」発表に江藤が反発、退団してロッテに移籍。
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