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清崟太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/14 04:53 UTC 版)

清崟太郎

清 崟太郎(せい きんたろう、1874年明治7年〉3月3日[1] - 1921年大正10年〉5月29日[2])は、衆議院議員立憲政友会)。

経歴

静岡県富士郡柚野村(現在の富士宮市)で酒造業を営む清家の四男として生まれた。1903年(明治36年)に東京専門学校(現在の早稲田大学)を卒業後、中央新聞の記者となった[3]。その後、東京市長尾崎行雄の知遇を得、市長秘書役に抜擢された。

1908年(明治41年)、第10回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。以後、当選回数は5回を数えた。その他、東京市会議員も務めた[1]

脚注

  1. ^ a b 『人事興信録』
  2. ^ 『官報』第2648号、大正10年5月31日
  3. ^ 『現代日本の政治家』立憲政友会p.221-222

参考文献

  • 細井肇『現代日本の政治家』国光社、1916年。 
  • 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。 

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