大島寅吉とは? わかりやすく解説

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大島寅吉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/08 07:58 UTC 版)

大島寅吉
おおしま とらきち
生年月日 1875年2月19日
出生地 日本 新潟県刈羽郡
没年月日 (1958-06-01) 1958年6月1日(83歳没)
死没地 日本 北海道函館市
出身校 東京法学院卒業
(現・中央大学
前職 漁業
所属政党立憲民政党→)
翼賛政治会→)
日本進歩党→)
改進党

選挙区 北海道第3区
当選回数 4回
在任期間 1932年2月20日 - 1945年12月18日

選挙区 函館市選挙区
当選回数 1回

選挙区 4回
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大島 寅吉(おおしま とらきち、1875年明治8年)2月19日[1] - 1958年昭和33年)6月1日[2][3])は、日本の実業家政治家衆議院議員

経歴

新潟県刈羽郡生まれ[4]1896年(明治29年)7月、東京法学院(現・中央大学)を卒業[2][4][5]

帰郷してロシア漁業に従事[2][5]。その後、函館市会議員(当選4回[6])、北海道会議員函館市選出、民政党所属、当選1回[4][7][8][9])、同参事会員、函館商工会議所議員、函館硫安会社社長、大島合名会社社長などを務めた[2]

1932年(昭和7年)2月、第18回衆議院議員総選挙で北海道第3区から立憲民政党所属で出馬して当選し、その後第21回総選挙まで連続4回の当選を果たした[2][5]。この間、米内内閣鉄道参与官を務めた[2]。戦後、公職追放となった[10]。追放解除後、第26回衆議院議員総選挙改進党公認で旧北海道3区から立候補したが、落選した[6]。1958年(昭和33年)6月1日午後0時20分、老衰のため函館市内の自宅で死去した[3]

脚注

  1. ^ 衆議院『第七十回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1936年、33頁。
  2. ^ a b c d e f 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』128-129頁。
  3. ^ a b 国会 11(6)(121) 27コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  4. ^ a b c 函館市誌 583コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  5. ^ a b c 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』110頁。
  6. ^ a b 選挙の記録 昭和28年 235コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  7. ^ 最新議員名鑑 : 衆議院議員・道府県会議員 208コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  8. ^ 最新議員名鑑 : 衆議院議員・道府県会議員 209コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  9. ^ 最新議員名鑑 : 衆議院議員・道府県会議員 547コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  10. ^ 公職追放の該当事項は「推薦議員」。(総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、497頁。NDLJP:1276156 

参考文献

  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『新訂 政治家人名事典 明治〜昭和』日外アソシエーツ、2003年。ISBN 9784816918056





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