清寛
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清 寛(きよし かん[1] / せい ゆたか[2]、1887年〈明治20年〉3月13日[3] - 1966年〈昭和41年〉9月30日[1])は、日本の政治家。衆議院議員(4期)。
経歴
静岡県富士郡[4]青木村(富丘村青木[2]を経て現 富士宮市)[注釈 1]で、清重太郎、ゆう夫妻の息子として生まれた[2]。名古屋市会議員、大蔵省委員、名古屋製紙、中央紙業、紙業新聞、中外商事、太陽製紙、帝国製紙各(株)取締役社長や重役、岐阜新聞、岐阜製紙、平湯温泉土地、濃飛印刷各(株)社長となる[1]。
1932年の第18回衆議院議員総選挙において岐阜1区(当時)から立憲民政党公認で立候補して初当選[5]。以来連続4回当選する。1942年の第21回衆議院議員総選挙では大政翼賛会の推薦を受けて当選する[6]。戦後は日本進歩党に入ったが、大政翼賛会の推薦議員のため公職追放となった[7]。1951年追放解除[8]。
脚注
注釈
- ^ 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』219頁では岐阜県。
出典
参考文献
- 『翼賛議員銘鑑』議会新聞社、1943年。
- 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
- 清信重『オヤジと私』教育出版文化協会、1978年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
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