中林友信とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 中林友信の意味・解説 

中林友信

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/07 08:10 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
中林友信

中林 友信(なかばやし とものぶ、明治4年2月3日[1]1871年3月23日) - 昭和3年(1928年2月18日[2])は、衆議院議員立憲政友会政友本党立憲民政党)。

経歴

大阪府泉北郡東陶器村岩室(現在の堺市南区)出身。関西法律学校(現在の関西大学)を経て、明治法律学校(現在の明治大学)を卒業[1]1895年(明治28年)より破産管財人を務める[1]

泉北郡会議員、大阪府会議員を経て、1902年(明治35年)の第7回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。当選回数は合計で5回を数えた。

大阪盲人学校を創設して校長を務め、また大阪府教育会副会長に就任した[2]

その他、東京自由通信社主幹、日刊近畿新聞社社長などを歴任した[2]

脚注

[ヘルプ]
  1. ^ a b c 『新選代議士列伝』p.35
  2. ^ a b c 『衆議院議員略歴』

参考文献

  • 『新選代議士列伝』金港堂、1902年。
  • 『第一回乃至第十九回総選挙 衆議院議員略歴』衆議院事務局、1936年。





英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「中林友信」の関連用語

中林友信のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



中林友信のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの中林友信 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS