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山下谷次

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/05 21:38 UTC 版)

山下谷次

山下 谷次(やました たにじ、1872年3月30日明治5年2月22日[1]〉 - 1936年昭和11年〉6月5日[2])は、日本衆議院議員立憲政友会)、教育者。妻は画家山下紅畝[3]

経歴

香川県仲多度郡十郷村(現在のまんのう町)に山下重五郎の四男として生まれた[3]琴平町明道黌で学んだ後、京都の尽誠舎を卒業した。さらに東京に出て、英語漢学数学を学んだ。1893年(明治26年)より中等教育に従事し、1903年(明治36年)に神田区に東京商工学校(現在の埼玉工業大学)を創設し、校主と校長を兼ねた。

1924年大正13年)、第15回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。以後、5回の当選を重ねた。その間、犬養内閣文部参与官を務めた。

脚注

  1. ^ 衆議院『第四十九回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1924年、29頁。
  2. ^ 『官報』第2831号、昭和11年6月11日
  3. ^ a b 『代議士月旦』p.404

参考文献

  • 『衆議院要覧(乙)昭和十一年三月』衆議院事務局、1936年。 
  • 大石末吉『普選の勝者 代議士月旦』東京平和新報社出版部、1928年。 





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