佐保畢雄とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 佐保畢雄の意味・解説 

佐保畢雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/10 14:03 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
佐保畢雄

佐保 畢雄(さほ ひつお、1880年明治13年)1月11日[1] - 1940年昭和15年)9月9日[2])は、明治時代後期から昭和時代前期の政治家実業家衆議院議員(4期)。旧姓・永江。

経歴

永江慎一の五男として長崎県[注 1]に生まれ、佐保ケサの養子となり、1909年(明治42年)家督を相続する[3]1906年(明治39年)早稲田大学政治経済科を卒業[3][2]。農業を営む傍ら、佐世保市会議員、長崎県会議員、同参事会員、鉄道大臣秘書官を歴任する[2]。また、佐世保商工会議所議員、佐世保信託、肥薩貯金、佐世保土地、九州鉄工所各取締役、佐世保鉄工所、大和屋洋服店各取締役社長、佐世保貯蓄銀行監査役などを歴任する[2]。南洋方面視察および派遣軍慰問のため満州、北支那に派遣された[2]

1930年昭和5年)2月の第17回衆議院議員総選挙では長崎県第2区から立憲政友会所属で出馬し当選[2]。以後、4回連続当選をし、衆議院議員を通算4期務めた[2]。立憲政友会本部幹事に列した[3]

栄典

脚注

[ヘルプ]

注釈

  1. ^ 『財界二千五百人集』(財界二千五百人集編纂部、1934年)283頁では、福岡県柳河。

出典

  1. ^ 衆議院『第六十九回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1936年、8頁。
  2. ^ a b c d e f g 衆議院、参議院 編 1962, 215頁.
  3. ^ a b c d 人事興信所 1937, サ84頁.

参考文献




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「佐保畢雄」の関連用語

佐保畢雄のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



佐保畢雄のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの佐保畢雄 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS