西牟婁郡
西牟婁郡
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1879年(明治12年)2月西牟婁郡書記となり、田辺町下屋敷に移住した。田所八穂蔵が所有していた『田辺万代記』を参考に、1880年(明治13年)2月山林沿革史、5月水産沿革史を編纂した。1883年(明治16年)1月東牟婁郡書記に転じて役所事務を整理し、3月西牟婁郡に帰任した。1886年(明治19年)9月西牟婁郡役所第2科長となり、1892年(明治25年)10月第1科長に転じ、1899年(明治32年)12月第2科長を兼務し、1900年(明治33年)6月第2科長に復帰した。 1889年(明治22年)8月紀和水害で会津川が決壊し、自身も被災しながら被災者救済に尽力した。この頃、繁里同門の多屋梅窓・那須宗道・那須宗正・湯川暢等と晩桜社を結成し、毎月歌会を開催した。1896年(明治29年)高崎正風が湯崎温泉に来訪し、歌道について教えを受けた。
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西牟婁郡
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和歌山県立南紀高等学校周参見分校{定時制} - 2016年3月31日に閉校。
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