西牟田彌次郎家綱(行西)の西牟田村赴任
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西牟田氏は藤原北家流で関白藤原道隆の後裔とされ、西牟田彌次郎家綱入道藤原行西が、幕府の命を受けて嘉禎年中(1235-1238)、豆州三島より筑後国三瀦郡西牟田村に地頭として来住し、堡を築き、村の名前の「西牟田」を以て称号としたという。 筑後市西牟田の寛元寺は、西牟田入道行西の願によって寛元元年(1243年)に建立され、三潴郡大木町蛭池の三島明神は行西が伊豆国三島から勧請したものとされる。同様に、筑後市西牟田地区の三島宮(現在の三柱神社)、鷲寺地区の霊鷲寺、流地区の天満神社、正覺寺(現在は廃寺)等も行西の建立と伝えられている。
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