寛元寺とは? わかりやすく解説

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寛元寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/05/05 05:53 UTC 版)

寛元寺
所在地 福岡県筑後市大字西牟田1791-2
位置 北緯33度14分20.7秒 東経130度28分49.2秒 / 北緯33.239083度 東経130.480333度 / 33.239083; 130.480333座標: 北緯33度14分20.7秒 東経130度28分49.2秒 / 北緯33.239083度 東経130.480333度 / 33.239083; 130.480333
山号 五葉山
宗派 臨済宗南禅寺派
本尊 釈迦如来
創建年 寛元元年(1243年)
開山 雲山元怡
開基 西牟田弥次郎家綱入道行西
札所等 筑後三十三観音霊場第21番札所
法人番号 9290005009132
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北緯33度14分20.7秒 東経130度28分49.2秒 / 北緯33.239083度 東経130.480333度 / 33.239083; 130.480333

寛元寺(かんげんじ)は、福岡県筑後市西牟田の臨済宗南禅寺派寺院。山号は五葉山。本尊釈迦如来小郡市(旧三井郡立石村)の瑞松山霊鷲寺末寺

筑後三十三観音霊場の第21番札所であり、観音堂に乳婦観音が安置されている。

歴史

寛元元年(1243年頃)、行基開山と伝承される休気山竹立院の跡に、地頭の西牟田家綱(弥次郎、入道行西)を開基、鎌倉円覚寺住持の雲山元怡を開山として創建された。 西牟田氏がこの地域を領した期間はその菩提寺として栄えたが、同氏が佐賀へ移って以降は経済的に困窮し、桃山時代から江戸時代初期にかけて無住(住職のいないこと)の時代もあった。

江戸時代は久留米藩の支配下にあり、元禄8年(1695年)の「郡中品々寄」に『寺社御寄付2石2斗』とある。

参考文献

  • 「日本歴史地名大系第41巻・福岡県の地名」(2004年10月20日初版、平凡社



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