桃山時代とは? わかりやすく解説

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ももやま‐じだい【桃山時代】

読み方:ももやまじだい

時代区分の一。中世から近世への過渡期にあたり豊臣秀吉政権握っていた約20年間をいう。


桃山時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 08:28 UTC 版)

毛利氏」の記事における「桃山時代」の解説

毛利輝元秀吉臣従し、1585年天正13年)に安芸国備後国周防国長門国石見国出雲国隠岐国加え備中伯耆両国それぞれ西部安堵された。朱印状における毛利家の総石高112万石であり、ほかに四国九州安国寺小早川が輝元とは別に所領得た天正19年1591年)に豊臣秀吉から発給され領知朱印状領知目録安芸 周防 長門 石出雲 備後 隠岐 伯耆三郡 備中国之内、右国々検地、任帳面、百拾二万石之事」 内訳2万石 寺社領 7千石 京進方(太閤蔵入地) 66千石 羽柴小早川侍従(隆景)、内1万無役 11万石 羽柴吉川侍従(広家)、内1万無役 隠岐国 羽柴吉川侍従 10万石 輝元国之台所入 83千石 京都台所入 734千石 軍役 都合112万石 豊臣秀吉天下統一後、輝元は吉田郡山城から地の利良い瀬戸内海面した広島城築城し、本拠移したまた、文禄4年1595年)の秀次事件ののち、輝元は豊臣政権五大老一人となった1598年慶長3年)に秀吉死去すると、政権内で台頭する徳川家康五奉行石田三成対立深まった福島正則黒田長政豊臣恩顧の有力大名家康味方に付く中で輝元の政権内の立場微妙なものとなっていった。1600年慶長5年)の関ケ原の戦いにあたって輝元は西軍総大将推され1万の兵を率いて大阪城入り養子毛利秀元一族吉川広家出陣させたが、広家は黒田長政通じて決戦への不参加条件毛利家所領安堵密約家康との間に結び、9月15日決選では動かず逆に友軍長宗我部軍や長束軍を牽制して東軍勝利貢献した。この密約を輝元や秀元が知らされたのは戦い終わってのことだった。 関ヶ原の合戦東軍勝利に終わるが、大阪城にはその後豊臣秀頼擁する毛利輝元残っており、毛利秀元立花宗茂らはこの城に籠城して最後の決戦挑むことを主張した。これを恐れた家康福島正則黒田長政井伊直政本多忠勝らを通じ毛利家本領安堵条件に輝元の大阪城退去を広家に要求し、広家は輝元を説得9月25日約束信じた輝元は大阪城退去し代って9月27日家康大阪城入城し天下号令する体制整えた途端に家康態度一変し、輝元が大阪城中徳川家への敵対行為があったとして所領全域没収しそのうち一カ国か二カ国を広家に与えると通告してきた。これに驚いた広家は改め毛利家所領安堵懇願し受け入れられない場合自害する決意示した結局家康毛利家領国のうち防長二国のみを輝元に保証する誓書与えた家康欺瞞によって最盛期には中国地方全域支配し120万石領した毛利家は、四分の一しかない周防国長門国長州藩)2か国298千石領地削られた。輝元はこれと同時に家督長男の秀就に譲り仏門に入って法号を宗瑞と名乗ったが、このことは家康への怒り先祖詫び気持ちあったからだと考えられている。後に西南雄藩として幕末維新政局主導することになる長州藩実力気骨底流には、この苦難立藩強いられ以来培われた負けん気と反徳川精神風土があったといわれる

※この「桃山時代」の解説は、「毛利氏」の解説の一部です。
「桃山時代」を含む「毛利氏」の記事については、「毛利氏」の概要を参照ください。

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