最後の決戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/07 02:17 UTC 版)
そして8月7日、独立軍はボゴタの北150キロに位置するボヤカ高原でスペイン軍と最後の決戦に挑んだ。ホセ・マリア・バレイロ将軍の率いるスペイン軍2670名に対し、独立軍は装備の面では劣っていたが、当時スペインと敵対関係にあったイギリスからの義勇兵も多数参加していた。 スペイン軍前衛部隊にサンタンデル軍主力のホセ・アントニオ・アンソアテギ将軍の部隊が突撃し、スペイン軍本隊と分断する。直後にボリバル軍がスペイン軍後衛部隊に突撃。バルセロナ大隊とパエス大隊がスペイン軍右翼を、イギリス大隊とライフル大隊がスペイン軍左翼を攻撃し、スペイン軍は総崩れに陥った。バレイロは前衛部隊との合流を試みるが、激しい銃砲火の前に断念。降伏を余儀なくされた。 ボリバルは敗残兵の追撃と掃討を指示。フランシスコ・ヒメネス将軍らスペイン軍高級将校数名を捕縛。バレイロは捕らえられ、10月11日にボゴタで処刑された。 昼過ぎに始まった戦闘はわずか3時間の短期決戦で独立軍の勝利に終わり、その後の南アメリカ諸国の独立を決定づける歴史的な戦いとなったのである。 この戦いの勝利により、独立派は最終的に独立を勝ち取り、独立軍は8月10日にボゴタに入城してコロンビアの独立を宣言した。8月7日は「ボヤカ戦勝記念日」としてコロンビアの祝日になっている。
※この「最後の決戦」の解説は、「ボヤカの戦い」の解説の一部です。
「最後の決戦」を含む「ボヤカの戦い」の記事については、「ボヤカの戦い」の概要を参照ください。
- 最後の決戦のページへのリンク