最後の演奏と帰国直後の死
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/18 08:58 UTC 版)
「ソニー・スティット」の記事における「最後の演奏と帰国直後の死」の解説
晩年は首に悪性黒色腫を患っていた。日本で大物ジャズメンのコンサートといえば大都市でしか開催されないのが通例だが、地方の小さな町の人々にも本物のジャズを広める目的で、1982年7月12日からの北海道をスタート地点としたソニー・スティット・カルテットの日本全国縦断ツアーが予定されていた。この最後の楽旅は非常に危険な事実を承知の上、スティット自身の強い意志で敢行された。看護婦の付き添いで車椅子に乗った来日の姿は、関係者とファンの間で非常に危ぶまれたが、旭川で一曲のみ吹奏したのを最後についに演奏不能となり、それでも札幌では包帯を巻いたまま舞台挨拶を行い、八雲では病床で録音した挨拶メッセージをホールで流すも、19日に急遽帰国した。演奏不能となったツアーの後半はステージ中央に置かれた椅子に彼の愛器を飾った状態で、伴奏だったジェームス・ウィリアムス(ピアノ)、ナット・リーヴス(ベース)、ヴィニー・ジョンソン(ドラムス)のトリオのみでコンサートが行なわれた。帰国の三日後、7月22日にワシントンDCで死亡した際の新聞各紙訃報では、皮膚がんが死因と報道された。 1982年に心臓発作により他界した。
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