本隊とは? わかりやすく解説

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ほん‐たい【本隊】

読み方:ほんたい

中心となる部隊主力部隊。⇔支隊

この隊。


本隊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/24 23:41 UTC 版)

大水滸シリーズの登場人物」の記事における「本隊」の解説

梁山泊本山拠点とする軍。梁山泊防衛各地への遠征担当する。兵の大半二竜山調練受けて配属される官軍比べて兵数で劣る分を、指揮官能力や兵の錬度で補う。上級将校慢性的に不足しており、将校一人数千単位指揮する状況が多いという問題抱えている。最終決戦では、陥落した双頭山二竜山から脱出した戦力加えて童貫戦に臨んだ呼延灼(双鞭・天威星) 本隊総隊長1072年生まれ身長 - 180cm、体重 - 80kg。 (水滸伝宋建国の英雄呼延賛末裔。元汝寧州代州将軍得物原典同様に鉄製の双鞭。将来嘱望されていたが軍の腐敗嫌気がさし、志願して地方軍国境警備甘んじていた。軍人としては超一流巧み用兵を行う。不本意ながら梁山泊交戦した際には自身考案した連環馬れんかんば)で一度勝利するが、直後皇帝や軍への不信から梁山泊身を投じる入山後は穆弘李俊と共に本隊の総隊長務める。当初入山経緯から周囲馴染めずにいたが、弟を失った穆弘言葉受けて積極的に周囲関わるようになった性格は公正厳格で戦場では仲間死に動じないが、戦い離れる涙する一面見せる。愛馬自身伝手手に入れた朝影あさかげ)と名づけ踢雪烏騅代州妻子がいたが、その存在周囲明かすことは殆ど無かった上級将校軍馬の不足に悩まされつつも、禁軍との戦いで活躍童貫戦では連環馬大損害を与えた最終決戦では本隊の騎馬隊統括指揮する。 (楊令伝当初は仮の頭領楊令梁山泊復帰後は本隊総隊長務める。殆ど落伍者を出すことなく残存戦力まとめていたが、新生梁山泊建築前の流浪と仮の頭領としての重責呼延灼大きく疲弊させ、老い自覚するうになる老い武器にも表れており、得物の双鞭も鑢で削り軽量化なければ揮えなくなっていた。 突如梁山泊入山した息子・穆凌に戸惑い隠せず、一時梁山泊入り反対しており、入山後もまともに話すことはなかったが、内心では気にかけていた。童貫との決戦時にかつての友人趙安倒した直後趙安軍の騎馬隊追われ危機陥った穆凌を助けるために致命傷負いながらも一人五千騎馬隊止め、穆凌(呼延凌)や史進らに看取られて息を引き取る。死の間際息子褒め得物の双鞭を託した。なお、楊令伝における梁山泊メンバー最初戦死者である。 関勝大刀・天勇星) 本隊総隊長1069年生まれ身長 - 180cm、体重 - 85kg。 (水滸伝)元洪州雄州将軍禁軍所属していたが高俅嫌われ地方軍飛ばされたため、国家に対して冷めた見方をしている。しかしながら軍人としての気概捨てきれないため煩悶し、その反動から大人気ない行動をとっては部下達振り回す。ただし呼延灼と並ぶ軍人として評価高く指揮官として冷徹な判断力有している。 梁山泊共感しつつも魯達勧誘応じようとはしなかったが、叛乱嫌疑かけられたため梁山泊入り決意梁山泊入山時には彼を慕った部下たちが一緒になって付いてきた。入山後は呼延灼穆弘と共に隊長務める。呼延灼とは地方軍時代から意識しあう関係で、共に戦うようになってから互い実力認め合った童貫との決戦時に童貫幕僚馬万里相討ちになり左腕喪失致命傷を負う。その状態で戦い抜いた後に張清宣賛別れ告げて絶えた民政についても思案し、その才も備えていたが発揮される機会はついに無かった原典では三国志関羽の子孫を称しているが、本作ではその設定はない。 『楊令伝』における呼延灼との会話宣賛自分惚れ込み人として弱さがほとんど無かった回想している。また、禁軍葉超交戦した史進馬麟は、葉超戦いぶり関勝なぞらえて高く評価した穆弘(没遮爛・天究星) 本隊総隊長1076年生まれ身長 - 180cm、体重 - 80kg。 (水滸伝)元掲陽鎮の顔役少年時代目の前で兄を役人息子殺され父親が何も行動しなかったため心に屈折した面を持つ。理知的な性格宋江との出会いきっかけ梁山泊の志に共鳴反政府運動参加する優秀な指揮官だが激発したときの勢い周囲恐れられ過去イカサマ博打負けて自分片眼抉り出したという逸話も持つ。最初は、失った片眼木製目玉をつけていたが、宋江言われ眼帯変える呼延灼戦では弟の穆春失い自身負傷により右足後遺症が残るが、投降した呼延灼同志として受け入れ度量広さ見せた禁軍地方軍二十一斉侵攻の際に趙安の首を執拗に狙い続け趙安重傷与えて趙安軍を一時後退させるが、その際に風で舞い上げられ土煙目に入り敵の攻撃かわしきれず、戦死呼延灼は、入山直後穆弘から受け入れられ思い出忘れずにいた。『楊令伝』において呼延灼趙安戦い穆弘討ち損じた首を奪ることになる。また、水中死んだ同志語らう童猛は、目玉二つあれば趙安討てたと穆弘言っていたと楊令語っている。 張清(没羽箭・天捷星) 本隊総隊長1082年生まれ身長 - 180cm、体重 - 85kg。 (水滸伝)元遼州傭兵隊長。幼くして死別した父親から習った飛礫の技は抜群腕前を誇る。やがて傭兵稼業入り各地城郭を回る。高い報酬取ったが、引き受けた仕事一度失敗しなかったことから魯達に眼をつけられ梁山泊誘われる梁山泊の志には共感していたが、惚れた瓊英のために梁山泊敵対する田虎雇われた。 その後魯達たちの活躍により梁山泊同心田虎一党滅ぼして入山穆弘後釜として本隊総隊長務める。主に歩兵指揮担当し童貫戦では飛礫童貫の肩を砕いて撤退追い込んだこともある。終盤入山した好漢中でも最後の大物着物や旗に緑色好んで用いるため、緑衣将軍とも呼ばれている。入山直後瓊英結婚し最終決戦直前一児もうけた。 (楊令伝呼延灼史進と共に残存戦力率いて流浪し、仮の頭領として周囲軋轢生じがちな呼延灼をよく支える。流浪中は得意の飛礫封印していたが、楊令帰還前後して封を解いたまた、前作生まれた息子張朔とも初め対面し飛礫教える。 梁山泊再興後は再び本隊の総隊長務め童貫との決戦では劉譲飛礫重傷負わせるなど活躍するが、劉譲大軍締め付けられ続ける。消耗しきったところに岳飛攻撃を受け、相打ちを狙うも果たせ戦死前作同様に緑色好み、それを利用した影武者用意した時期もあったが、部下身代わりにすることを嫌ったため部下緑衣着用禁じていた。 『岳飛伝』では生前張清発見した清針(方位磁針)を梁山泊水軍軍事機密装備として使用し張朔聚義庁許可得て岳飛に清針を提供している。 黄信(鎮三山地煞星) 本隊将校1077年生まれ身長 - 170cm、体重 - 65kg。 (水滸伝)元青州軍の将校梁山泊蜂起前から花栄部下として反政府活動従事秦明入山後に正式に参加して二竜山双頭山将校務める。外見的な特徴は特に無く、喪門剣(そうもんけん)と名づけ長剣得物にする。董万奇襲受けた際に再起不能重傷負ったが、数合わせ駆り出され北京大名府攻略戦における審亮との一騎討ち最中気力でこれを克服、本隊将校として復帰する騎馬隊指揮果敢粘り強く優秀だが、席次扱いに対して愚痴不平不満が多いのが欠点(その欠点ゆえに一軍指揮認められない呼延灼評した)。『水滸伝本編では朱富丁得孫に不満を漏らし、『楊令伝』では戴宗愚痴聞かされたと回想している。史進楊令一軍率いていることに不満を感じていたが、後に楊令については実力認めた童貫との最終決戦戦死韓滔(百勝将・地威星) 本隊将校1064年生まれ身長 - 165cm、体重 - 65kg。 (水滸伝元代州の民兵指導者で、部下率いて開墾続け篤農家のような事を行っていた。かつて代州活躍した軍人、韓審を父に持つ。語尾に「~じゃのう」と付け年寄り臭い喋り方が特徴人情家代州へやってきた武松李逵親しくなる梁山泊シンパシー抱いていたが、親友呼延灼助けるべく一度梁山泊と戦う。彭玘と共に武松李逵捕らえられ入山決意入山後は将校として調練などに携わるが、間もなく重病冒され己の死期を悟る。扈三娘晁蓋への恋心見抜き告白するよう促すも、晁蓋暗殺により実現しなかった。更に病が悪化しながらも軍指揮務め、闇塩の道の手がかりを消すために占拠した北京大名府からの撤退時に趙安奇襲から宋江守って戦死。実は(終盤まで)唯一呼延灼妻子存在知っていた。 『楊令伝』では息子韓成登場韓成農地開墾するようにという父の言いつけ背き梁山泊軍加わった呼延灼韓成祖父、韓審の勇猛さ韓滔とぼけた所を受け継いでいると評している。 彭玘天目将・地英星) 本隊将校1065年生まれ身長 - 175cm、体重 - 55kg。 (水滸伝元代州の地主民兵指導者最愛の妻を急病失った過去から、生死に対して恬淡とした所がある。呼延灼韓滔とは親友で、時として人の死に涙する呼延灼叱咤することも。韓滔とは、二人で互い綽名考えた呼延灼と共に一度梁山泊と戦うが、結局は同志として入山する道を選ぶ。精強民兵率いていた老練な指揮官で、若手の多い梁山泊軍では渋い働き見せる。 韓滔死病侵されていることを知っていたが口止めされていた。韓滔戦死後彼の年寄り臭い喋り方を受け継ぐ五丈沿岸戦闘殿軍務め趙安追撃から身を挺して郭盛項充撤退させ戦死。彼と韓滔の死は呼延灼に深い悲しみ与えた。 『楊令伝』で韓成韓滔よりも彭玘育てられたこと、彭玘もう一人父親のように感じていたことを楊令語っている。また、杜興は、彭玘死後韓滔彭玘喋り方を自分受け継いだことを引き合い出して職務背負い込もうとする宣賛諭している。 杜興(鬼瞼児・地全星) 本隊将校1058年生まれ身長 - 175cm、体重 - 70kg。 (水滸伝)元李家荘の執事。あばた面が特徴李応の父に拾われ子供の頃から執事として育てられた。役人対策など李応をよく補佐していた。主に全て捧げる思い抱いていたが、入山後の人事史進副官命じられ李応切り離されてしまう。 自暴自棄となり部下負傷兵達を苛め抜くが、活を入れられた兵達から逆に慕われるうになる毒舌史進らを苛めるが、李応の死を知った際はさすがに落ち込んだ。後に双頭山副官や本隊の将校になり、董平呼延灼宣賛サポートする梁山泊よりも、常に李応のことを考えていた。梁山泊崩壊時には梁山泊残ろうとしたが、宣賛引きずられるようにして脱出する。 (楊令伝李応の娘・李媛補佐するべく、重装備部隊副官となる。部隊運用一段落した後に聚議庁に戻り楊令宣賛相談役務める。毒舌ぶりは未だに健在で、韓滔彭玘年寄り臭い話し方受け継いでいる。若者のために先の短い老人手を汚すという考えを持つ。 童貫戦の後は軍監西域との交易の路を拓くための使節巡邏隊のサポートなど地味だ重要な役割を果たす李媛による李英への弾劾騒動根底に『替天行道』が説いた国家打倒建設二つの志に対す軍人たち齟齬があることを見抜く。そして事故見せかけ自裁により騒動収め梁山泊内部二つの志への齟齬があることを楊令呉用宣賛示した杜遷(摸着天・地妖星) 本隊将校1063年生まれ身長 - 190cm、体重 - 85kg。 (水滸伝) ‹章タイトル第2巻第7章 宋万林冲とともに王倫粛清する王倫率い梁山湖の山寨第2位地位にいたが、宋万同じく王倫堕落に不満を抱いていた。林冲山寨奪取協力し梁山泊旗揚げ貢献する思慮深く部下想い性格ゆえ通常部隊指揮官として有能だった焦挺には入山時から面倒を見ていたこともあり、親父のように慕われる雷横戦死後一時双頭山大隊長になるが、祝家荘戦のため再び本隊へ配属される。独竜岡攻撃戦で火攻めの罠から部隊身を挺して守り戦死。その死に様は、焦挺の目にはっきりと焼き付いた。 (楊令伝) ‹章タイトル第2巻第3章 甥の祖永登場する› 『楊令伝』で甥の祖永登場杜遷あだ名をもじった『摸着』を名乗り伯父のような戦いぶり憧れる。祖永治療した白勝は、杜遷白勝安道全林冲三人兄弟のようだ評していたと聞かされ自分だけが生き残ったことに理不尽さを感じたまた、杜遷致死軍入り打診する機敏さ欠けていたため、諦めたことを公孫勝回想している。 宋万裏金剛・地魔星) 本隊将校1071年生まれ身長 - 180cm、体重 - 90kg。 (水滸伝) ‹章タイトル第2巻第8章 王倫粛清され新生梁山泊で自らを鍛え直す王倫率い梁山湖の山寨第3位地位にいたが、行動起こそうとしない王倫に不満を抱いていた。山寨奪取狙って潜入した林冲共感杜遷と共に協力して王倫粛清梁山泊旗揚げ貢献する大柄で、遣う自分の腕に慢心していたが致死軍過酷な訓練衝撃を受け、自らを鍛え直す純粋な性格強烈な存在感はないが兵には慕われた。独竜岡攻撃戦で全身に矢を受けながらも、部隊身を挺して守り戦死。なお、『楊令伝』に登場する宋万同姓同名別人。 (楊令伝楊令伝登場する方臘護衛隊長を呉用大柄な体格から宋万連想し、名前を捨てたその隊長宋万と呼ぶ。また、元王倫の配下だった宋万杜遷信用していなかったが、現場指揮官たちは信頼していたことも思い出している。 焦挺(没面目・地悪星) 本隊将校1079年生まれ身長 - 185cm、体重 - 95kg。 (水滸伝当初杜遷部下相撲で役人息子殺してしまったため追われることになり、王倫山寨に母を伴って入山する。病気の母を死ぬまで面倒を見てくれた安道全恩義感じ杜遷林冲メッセンジャー務めて王倫粛清梁山泊旗揚げ貢献する相撲本作ではレスリングという設定)が得意な巨漢で、茫洋とした風貌だが、記憶力にも優れる。 独竜岡での戦いにおいて、戦死した杜遷宋万後任として大隊長昇格任務重さ悩みながらも活躍する。しかし独竜岡陥落時に宋軍の退却路を調査中、矢の罠を受けて致命傷を負う。宋江呉用らが見守る中、安道全の手当てを受けるも甲斐なく、母の下へ行くと言い残して事切れた。 『楊令伝』では相撲の腕を自慢する山士奇に対して郭盛焦挺相撲腕前林冲鍛え上げられたエピソード語り山士奇では相手にならない評している。 童威出洞・地悪星) 本隊将校1080年生まれ身長 - 170cm、体重 - 65kg。 (水滸伝李俊弟分で闇塩の商売に関わっていた。弟の童猛とは一卵性双生児のため、見分けが付くように髭を剃っている。弟とは操船や剣の技量なども同等で、双子繋がりからか、お互い感覚などを感じあうことがある李俊従い梁山泊入山。独竜岡戦で宿元景騎馬隊戦い味方助けるために血路開こうと敵に突っ込み戦死童猛は髭を半分だけ剃って祝家荘戦い臨んだ。なお、原典生き残った百八星としては、北方水滸伝初の戦死者である。 『楊令伝』で童猛洞庭山水路調査にあたり洞庭湖様々な場所に死んだ同志重ね見ていたが岩の多い場所を童威思い語らっている。また弟分のひとり、狄成童威一人妓楼出入りしていたことを童猛明かしている。 李袞飛天大聖・地走星) ‹地走の星› 本隊将校1079年生まれ身長 - 175cm、体重 - 65kg。 (水滸伝)元博州私兵隊長賊徒になることを良しとせず、を守るために樊瑞項充用心棒のような稼業生業としていた。飛刀を使うが武術大し強くない臆病だ率直な性格で、部下には慕われている。官軍追われ盧俊義燕青を匿ったことから一念発起樊瑞項充連れて梁山泊入りする。二竜山での調練経て本隊将校となる。しかし配属直後の対呼延灼戦で、連環馬踏み潰され戦死彼の死は樊瑞人生大きく影響を及ぼす。 (楊令伝) ‹章タイトル第2巻第2章 項充李袞思い出を語る› 『楊令伝』では項充杜興扈三娘たちとの会話で、李袞頭ごなし命令せず納得させて部下を動かす男だったと振り返っている。また、李袞死なせ呼延灼に対して項充微妙な感情抱いている。 単廷珪聖水将・地奇星) 本隊将校1077年生まれ身長 - 170cm、体重 - 60kg。 (水滸伝)元雄州軍の将校関勝部下魏定国とは親友綽名由来は遼軍との戦いで水攻め成功したことがあるため。特に思想的なものは無く関勝慕い共に梁山泊について来た。双頭山配属され黄信同じよう董万奇襲再起不能重傷を負う。復活した黄信真似をするも上手くいかず、廃兵になったショックから荒むが、林冲荒療治復活する童貫との決戦後退する張清軍の殿軍務め戦死。その死は張清の心に大きな傷を与える事になる。なお「たんていけい」とルビ振られているが、通常「単」の字が姓として使用される場合は「ぜん」という音を当てるのが通例単廷珪戦死報告する声を張清忘れられず、『楊令伝』での童貫との前哨戦にて楊令殿軍務めると決めた際、楊令李俊単廷珪死なせたことを悔やんでいると告白した丁得孫(中箭虎・地速星) 本隊将校1073年生まれ身長 - 180cm、体重 - 85kg。 (水滸伝)元は張清率い遼州傭兵部隊将校山賊首領だったが張清敗れて部下になったという経緯がある。綽名傭兵時代友達龔旺があばた面を矢傷例え名づけたもの。将校としての資質はあるが、経験不足のため実力十分に発揮できないまま戦力入れられる梁山泊の上将校不足も原因)。 童貫との決戦時には鮑旭と共に前衛務めた執拗な攻撃恐怖覚え、無理な追撃をかけて敗走冷静になり、罰を受けるべく自陣帰還する途中毒蛇噛まれ死亡。 『楊令伝』で岳飛侮り失態演じた花飛麟に対して鮑旭自分と丁得孫違い経験の差だったと回想している。また、一人死んだ丁得孫とは違い才能があるゆえに花飛麟部下道連れ死んでいくとも忠告した作者との対談企画『やつら』に第4回相手として登場。毒の影響顔色青黒くなっている。死に様については気にしていないが死ぬ前に失くしてしまった愛用の剣を捜しており、作者在り処尋ねた

※この「本隊」の解説は、「大水滸シリーズの登場人物」の解説の一部です。
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本隊

出典:『Wiktionary』 (2021/08/15 06:07 UTC 版)

名詞

 ほんたい

  1. と名の付く組織おいて中心となる部隊主力部隊
  2. 自分している、この隊。

対義語

語義1

関連語

語義1a

語義1b

翻訳

語義1


「本隊」の例文・使い方・用例・文例

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