あい‐うち〔あひ‐〕【相打ち/相撃ち】
相打ち
相打ち
『徒然草』第115段 世捨て人のぼろぼろ達が宿河原で念仏を唱えているところへ、「しら梵字」が訪れ、師の仇である「いろをし房」を尋ねる。「いろをし房」は仲間に手出しを禁じ、「しら梵字」と2人、河原へ出て存分に闘い、刺し違えてともに死んだ。
『テーバイ攻めの七将』(アイスキュロス) オイディプスの息子エテオクレスとポリュネイケスが、1年交替でテーバイを統治する。しかしエテオクレスは期限が来ても王位を譲らず、かえってポリュネイケスを国外へ追放する。ポリュネイケスは軍勢を率いてテーバイを攻め、兄弟は一騎討ちして刺し違え、死ぬ。
*最強の二人が、一対一の決闘をする→〔決闘〕8の『座頭市と用心棒』(岡本喜八)。
『マハーバーラタ』第1巻「序章の巻」 聖仙(リシ)ビバヴァスと弟スプラティカが、財産を2人で分けるか否かで言い争う。ビバヴァスは怒って「お前など象になってしまえ」と呪い、スプラティカは「お前なんか亀になるがいい」と呪い返す。互いの呪詛によって、ビバヴァスは亀になり、スプラティカは象になってしまった〔*亀と象は、後にガルダ鳥に食われた〕。
『パンチャタントラ』第2巻第3話 猟師が矢で猪を射ると同時に、猪は牙で猟師の腹を裂き、猟師も猪もその場に倒れて死んだ。そこへやって来たジャッカルが、猟師と猪の両方の死体を見て、「こんな食物にありつけるとは、俺に運が向いてきたぞ」と喜び、まず猟師の持っていた弓の弦を食べ始める。すると弦が切れ、弓の先端がジャッカルの上顎から頭部を貫通して、ジャッカルは死んでしまった。
*AとBが争い、通りかかったCがAとBを獲物として得る→〔横取り〕1dの漁父の利の故事。
*猟師と狼の相打ち→〔狼〕5の『遠野物語』(柳田国男)42。
『秘密兵器』(ブッツァーティ) 第3次世界大戦が勃発し、ソビエトは秘密兵器「説得ガス」をアメリカへ撃ち込む。アメリカ人の脳は完全に説得され、大統領以下全国民が資本主義を捨てて、共産主義に転向する。アメリカもまた「説得ガス」をソビエトへ撃ち込み、ソビエトは書記長以下全人民が共産主義を捨てて、資本主義に転向する。両国の思想は入れ替わり、ふたたび冷戦が始まった。
相打ち
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/17 15:39 UTC 版)
相打ち(相討ち、相撃ち、あいうち)とは、剣術、剣道などで、双方が同時に相手を倒すること。転じて勝敗のない事である。
剣術
剣術流派においては、相打ちを極意とするところもあり、こうした傾向は江戸時代後期では特に強い。相打ちを重要視している剣術は、陰流系統の流派に多い[1][2]。「皮を斬らせて肉を断つ〜骨を斬らせて髄を断つ」[3] とあるように、剣術流派における相打ちの概念とは、自分が勝って生き残る事が前提である。相打ちに見えるようで、相打ちではない場合もある[4](ボクシングのクロスカウンターに似た側面がある)。これはどのような達人同士であってもわずかに実力差が生じる為とされる。事例としては柳生三厳の逸話[5] であり、映画『七人の侍』にも引用されている。
剣術流派における相討ちによる上達論
無住心剣流の剣術家 針ヶ谷夕雲正成は、「禅の悟りの上において(中略)、互角の者には相討ちしかない。この相討ちを抜けたところに剣の奥義がある。「相抜」が我が流の極意である」と話した[6]。この夕雲の奥義を極めた者の筆頭が小田切一雲(空純流)であり、「初心者は相討ちだけを考えよ。相討ちは十分の勝ち。ただし勝とうと思ってはならぬ、また負けまいと思ってもならぬ。勝負を忘れて、相手の剣の下へ無我無心で入れ。これにより上手には相討ち、下手には勝ちを得る。さらに修業をつみ重ねれば、上手にも勝ちを得るようになる」とし、迷わず相討ちをすれば、弱い者でも実力以上の力が働くと説いている。これは防具を身につけているからこそ可能な練習法であり、真剣での戦闘結果では、全く同じ打突などはありえず、日本拳法でもその点を説いている。
真剣での技
真剣を用いた相討ち技として、敵の面斬りを避けるでも防ぐでもなく、同時面斬りで対応することで、互いの斬撃を相殺し、わずかに押し切ることで微妙に相手の斬撃をずらす「合撃(がっしうち)」という技が新陰流兵法の雷相刀の中にあり、相討ちに持ち込むことで活路を見い出すという高度なものである。一歩間違えれば危険な技であるが、これは真剣での勝負では、避けるか防ぐかなどと判断している瞬時にやられかねない為、攻防一体の技として相討ちを技にしたものである。理屈としては、黙って何もせず、斬られるくらいなら刀を振り下ろせというものであるが、極めれば、避ける必要もなくなる。
剣道
相打ちは試合中に両者の有効打突が同時に行われること。双方の打突とも無効打突となる。面の時は、相面といい、小手の時は、相小手と呼ばれる。
その他
- 日本拳法でも達人が相打ちを重要視している(心構えの一つとして)[7]。
- 戦国時代、弓矢の達人と鉄砲の達人が相撃ち死したと言う伝承が稲沢市にはある[8]。『信長公記』に記述される橋本一巴と林弥七郎(在地伝承では三郎)の話。
- 江戸時代の決闘の話の一つに、闘いが長引き、両者とももう助からないほど流血した為、互いの同意で、潔く同時に喉を突き、相打ち死した(喧嘩両成敗と感覚は同じであり、互いに後悔や遺恨の念が残らない意図・配慮がある)。これは意図的に相打ち死した事例である。類話として、『アーサー王物語』に登場するベイリン・ベイラン兄弟の話がある。
相討ち死した人物
関連項目
脚注
- ^ 図解雑学『剣豪列伝』 2004年 ナツメ社 ISBN 4-8163-3774-1
- ^ 中里介山 『日本武術神妙記』 角川ソフィア文庫 2016年 p.36.新陰流系統では相討ちを極意とする。
- ^ 柳生流では、「肋(あばら)一寸」の教えがある。同『日本武術神妙記』 p.36.
- ^ 同『日本武術神妙記』 p.36.
- ^ 『撃剣叢談』には、三厳と浪人が試合を行い、相打ちと判断されるが、三厳は真剣勝負であれば、自分が勝っていたと主張し、結果として真剣での決闘となり、三厳の着物が切られるも裏地までは斬られず、相手は斬り殺された(皮を斬らせて肉を断つの境地であり、真剣勝負に互角の打突はないことを示している)。
- ^ 石黒邦男著 『ファイティング・アーツ・シリーズ 日本拳法教範Ⅰ』 圭文社 1982年 pp.8 - 9.
- ^ 『日本拳法』において、関東に日本拳法を普及させた森自身が男谷信友の影響から相打ちの重要性を説いた[要出典]。
- ^ 鉄砲の名人と弓の達人 稲沢市むかしばなし
相打ち
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 20:02 UTC 版)
「ヴァンパイア ダークストーカーズコレクション」の記事における「相打ち」の解説
お互いの打撃攻撃同士がぶつかった場合は相打ちとなり、画面が赤くフラッシュして両者ともダメージ自体は受けるものの、お互いにのけぞりポーズにはならず技が継続され、そのまま次の技につなげることも可能。このため、単発の技で相手の連続攻撃を止めることは難しくなっている。
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