韓成とは? わかりやすく解説

韓王成

(韓成 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/09 07:48 UTC 版)

韓王 成(かんおう せい、? - 紀元前206年(諸説あり))は、末から楚漢戦争期の人物。王。である。

戦国時代末期に韓の公子として生まれ、若くして横陽君(おうようくん)に封ぜられ、韓王安に仕えた。しかし紀元前230年に韓が滅亡し、その地位を失い庶民となった。

秦末の動乱期の紀元前209年頃に亡韓の遺臣であった張良項梁に進言し、野に下っていた韓成を韓王に擁立した。しかし韓成を擁立した張良が劉邦に接近していることを、を滅ぼした項羽に不快に思われ、また劉邦を警戒した范増も韓王を監禁すべきであると進言したため、韓成は項羽が彭城に凱旋して、当所で監禁され韓に戻ることはなかったという。

紀元前206年末あたり、僻地の漢中王に封ぜられた劉邦が項羽を討つべく韓信大将軍として東進した。すると、韓成は項羽の不興を買い、また范増が「禍を断つために韓成を誅殺すべきです」と項羽に進言したため、韓成は彭城で処刑され晒しものになったという。項羽は韓成に代わりに秦の呉県県令を勤めたことがある鄭昌という者を韓王に封じた。

この悲報を聞いた張良は、官職を辞して、間道を通って逃亡して、すでに東進した劉邦と再会して、そのまま参謀として仕えた。劉邦の許可を得た張良は、亡き主君の韓成の遺体を引き取り、旧韓の地で葬儀を主宰して手厚く葬ったと伝わる。まもなく、張良は韓成の1世代下の族子(おい)にあたる韓王信を擁立した。


韓成(望天吼)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/24 23:41 UTC 版)

大水滸シリーズの登場人物」の記事における「韓成(望天吼)」の解説

方臘軍残存部隊長、後外交官

※この「韓成(望天吼)」の解説は、「大水滸シリーズの登場人物」の解説の一部です。
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