韓王安
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/11/06 07:34 UTC 版)
| 韓王安 | |
|---|---|
| 韓 | |
| 王 | |
| 王朝 | 韓 |
| 在位期間 | 前239年 - 前230年 |
| 都城 | 新鄭 |
| 姓・諱 | 韓安 |
| 没年 | 前226年 |
| 父 | 桓恵王 |
韓王安(かんおう あん)は、中国の戦国時代の韓の最後の君主(在位:紀元前238年 - 紀元前230年)。姓は姫、氏は韓、諱は安。桓恵王の子。
生涯
桓恵王34年(紀元前239年)、桓恵王が薨去すると、後を嗣いで韓王となった。
韓王安5年(紀元前234年)、秦の攻撃を受け、兄弟である公子の韓非を使者として秦に派遣したが、誅殺された。
韓王安8年(紀元前231年)、南陽の地を秦に割譲した。
韓王安9年(紀元前230年)、内史騰率いる秦軍が韓に攻め込み、韓王安は捕虜とされた。これにより韓は滅亡し、潁川郡として秦の統治下に置かれた(韓攻略)。
『睡虎地秦墓竹簡』編年紀によると始皇21年(紀元前226年)に死去したとされる。『史記』秦始皇本紀によると同年に韓の旧都新鄭で反乱が発生しており、これに関連して韓王安は亡くなった可能性がある。
参考書籍
- 『史記』韓世家第十五
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