蒙武
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/20 16:35 UTC 版)
蒙 武(もう ぶ、生没年不詳)は、中国戦国時代の秦の将軍。蒙驁の子。蒙恬・蒙毅の父。秦王政(後の始皇帝)に仕えた。
経歴
紀元前224年、李信と蒙恬を破った楚の項燕が秦に侵攻してきたので、蒙武は王翦の裨将軍(副将)となってこれを破り、蕲で楚軍の主力を壊滅させ、項燕を自決(あるいは戦死)させた。
紀元前223年、再び蒙武は王翦と共に楚を攻め、楚王負芻を捕え、楚を滅ぼした。楚に属していた土地は三つの郡に分けられた。
以上は史記による最も一般的な説である。
以下は『史記』秦始皇本紀に基づく。
紀元前224年、王翦と蒙武が兵を率いて楚国を攻撃し、楚軍を撃破し、楚王負芻を捕らえた。陳から平輿までの広大な領土を占領した。秦王政は郢と陳の一帯を視察した。
紀元前223年、再び蒙武は王翦と共に楚を攻めた。昌平君と項燕を戦死させ、楚を滅ぼした。
参考文献
蒙武(もう ぶ)
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「達人伝-9万里を風に乗り-」の記事における「蒙武(もう ぶ)」の解説
蒙驁の息子。父と共に韓と西周君の合従軍制圧に従事。後、父の命で董摎の下で三川郡攻略軍を率いる。
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