項燕とは? わかりやすく解説

項燕

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/15 08:50 UTC 版)

項燕

大将軍
出生 不詳
死去 負芻5年(前223年
主君 負芻→(昌平君
項梁項伯
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項 燕(こう えん、Xiàng Yān、生年不詳 - 紀元前223年)は、中国の戦国時代末期の大将軍。下相(現在の江蘇省宿遷市宿城区)の人。西楚の覇王項羽とそのいとこ項荘の祖父にして、項梁項伯の父。

生涯

史記・項羽本紀』の記載によると、項氏は代々楚の将軍を務めていた。項姓とは祖先が項という邑に封ぜられていたのが由来とされる[1]。 唐代の『元和姓纂』や『広韻』によると、項燕は周朝に分封された同宗の姫姓項国の後裔であり、春秋時代に項国が国によって滅ぼされた後、その国名を姓としたとされる。

負芻3年(紀元前225年)、秦の李信蒙恬が20万の大軍を率いて楚に進攻してきたので項燕はこれを迎え撃った。李信と蒙恬が城父で合流したところを三日三晩休むことなく追撃し、李信軍を大破した。さらに2つの拠点を攻め落とし、7人の都尉を殺して秦軍を覆没させた[2]

負芻4年(紀元前224年)、秦の王翦が60万の大軍を率いて再び楚を攻めた。王翦は堅守して楚軍と交戦しないよう命じ、項燕の防備に隙ができるように仕向けた後、奇襲して楚軍を大破、楚王負芻は捕虜となったが、項燕は淮南で負芻の異母兄弟であり、かつて秦の丞相であった楚の公子昌平君を楚王として擁立して反抗した[3]

負芻5年(紀元前223年)、王翦と蒙武は楚軍を破り、昌平君は戦死、項燕も戦死(もしくは自害)し、ついに楚は滅亡した(『史記』秦始皇本紀による[4]。『史記』楚世家では項燕の死後に負芻が捕虜となっている[5])。

後に、秦朝が滅んだ契機となった陳勝・呉広の乱の指導者呉広は、自らの名を項燕と詐称した。これは楚の英雄の項燕が民衆に広く支持されており、かつその死を多くの人が知らず、また信じていなかったためである[6]

脚注

  1. ^  司馬遷『『史記』項羽本紀』。ウィキソースより閲覧。「項氏世世為楚將,封於項,故姓項氏。」 
  2. ^  司馬遷『『史記・白起王翦列傳』』。ウィキソースより閲覧。「遂使李信及蒙恬將二十萬南伐荊。王翦言不用,因謝病,歸老於頻陽。李信攻平與,蒙恬攻寢,大破荊軍。信又攻鄢郢,破之,於是引兵而西,與蒙恬會城父。荊人因隨之,三日三夜不頓舍,大破李信軍,入兩壁,殺七都尉,秦軍走。」 
  3. ^  司馬遷『『史記・秦始皇本紀』』。ウィキソースより閲覧。「二十三年,秦王復召王翦,彊起之,使將擊荊。取陳以南至平輿,虜荊王。秦王游至郢陳。荊將項燕立昌平君為荊王,反秦於淮南。」 
  4. ^  司馬遷『『史記・秦始皇本紀』』。ウィキソースより閲覧。「二十四年,王翦、蒙武攻荊,破荊軍,昌平君死,項燕遂自殺。」 
  5. ^  司馬遷『『史記』楚世家』。ウィキソースより閲覧。「(王負芻)四年,秦將王翦破我軍於蘄,而殺將軍項燕。五年,秦將王翦、蒙武遂破楚國,虜楚王負芻,滅楚名為[楚]郡云。」 
  6. ^  司馬遷『『史記・陳涉世家第十八』』。ウィキソースより閲覧。「項燕為楚將,數有功,愛士卒,楚人憐之。或以為死,或以為亡。今誠以吾眾詐自稱公子扶蘇、項燕,為天下唱,宜多應者。」 

関連項目


項燕(こう えん)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/26 00:42 UTC 版)

達人伝-9万里を風に乗り-」の記事における「項燕(こう えん)」の解説

武官若手ながらも趙国への救援軍5000の兵を率いる、一騎当千偉丈夫熱血武人対決相手王齕からも「なかなか上等の武を備えて生まれて」きていると評される程の天性の武の才を持つが、その武技荒削りで、剣戟際しょっちゅう剣を折っていた。荘丹から大呼吸を教わり急速に磨きがかかる

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