項燕とは? わかりやすく解説

項燕

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/13 01:27 UTC 版)

項 燕(こう えん、Xiàng Yān、? - 紀元前224年または紀元前223年)は、中国の戦国時代末期の大将軍。下相(現在の江蘇省宿遷市宿城区)の人。西楚の覇王項羽とその従弟項荘の祖父にして、項梁項伯の父。

項姓とは祖先がに封ぜられていたのが由来とされる[1]。唐代の『元和姓纂』や『広韻』によると、項燕は周朝に分封された同宗の姫姓項国の後裔であり、春秋時代に項国が国によって滅ぼされた後、その国名を姓としたとされる。

生涯

項氏は代々楚の将軍を務めていた。

負芻3年(紀元前225年)、李信蒙恬が20万の軍で楚を攻めた。楚は序盤は劣勢であったが後に反攻に転じ、秦軍を覆没させる大勝を収めた[2]。中国史学者の楊寛は 『史記』陳渉世家の「 項燕爲楚将、數有功、愛士卒。 (項燕は楚の将となって、しばしば功があり、士卒を愛した)」という記述を取り上げて、 このとき楚軍の指揮を執って李信の軍を破ったのは項燕であると推測している[3]。しかし、李信の軍を破った楚軍の指揮官が項燕であるという記述は歴史書や一次資料などには一切見当たらない。

負芻4年(紀元前224年)、王翦蒙武が60万の大軍を率いて再び楚を攻めた。王翦は堅守して楚軍と交戦しないよう命じ、ついに楚軍が東へ退却すると、王翦はこれを追撃して楚軍を大いに破り、楚王負芻を捕虜とした。項燕は楚の公子にして秦の重臣の昌平君を楚王として擁立し[4]、淮南(淮河以南)で抗戦を続けた[5][注 1]

負芻5年(紀元前223年)、王翦と蒙武に攻められ、昌平君は戦死し、項燕も自害し、ついに楚は滅亡した[2][5][6]

死後

紀元前209年に発生し、のちに秦朝が滅んだ契機となった陳勝・呉広の乱の指導者陳勝呉広は自らの名を扶蘇・項燕と詐称し、天下に反秦を呼びかけた。これは楚の英雄の項燕が民衆に広く慕われており、かつ項燕の死について民は半信半疑だったためである[7]

かつて項燕の軍で視日(日時の吉凶や行動を占う職[8])を務めていた周文張楚の将軍となり、秦朝を攻めて函谷関を突破し、国都咸陽に迫ったが章邯に敗れて自刎した[7]

項燕の遺志はその子孫に受け継がれ、子の項梁が会稽郡で挙兵して反秦の旗を掲げ、孫の項羽が反秦勢力の中核となって秦軍主力を撃破し、紀元前206年に秦朝を完全に滅亡させた[1]

脚注

注釈

  1. ^ 『史記』秦始皇本紀による。『史記』楚世家、王翦列伝、蒙恬列伝等では、項燕はこの年に蘄南(現在の安徽省宿州市埇橋区南)で討ち取られ、翌年の紀元前223年に負芻が捕らえられ楚は滅亡したとなっている。

出典

  1. ^ a b  『史記』項羽本紀』。ウィキソースより閲覧。 
  2. ^ a b  『史記』白起王翦列傳』。ウィキソースより閲覧。 
  3. ^ 楊寛『戦国史料編年輯証』上海人民出版社、2001年11月。ISBN 978-7-20803185-2 
  4. ^ 史記三家註/卷006 - 维基文库,自由的图书馆” (中国語). zh.wikisource.org. 2025年8月4日閲覧。 “昌平君,楚之公子,立以爲相,後徙於郢,項燕立爲荊王,史失其名。”
  5. ^ a b  『史記』秦始皇本紀』。ウィキソースより閲覧。 
  6. ^  『史記』楚世家』。ウィキソースより閲覧。 
  7. ^ a b  『史記』陳涉世家』。ウィキソースより閲覧。 
  8. ^ 裴駰『史記集解』による。

関連項目


項燕(こう えん)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/26 00:42 UTC 版)

達人伝-9万里を風に乗り-」の記事における「項燕(こう えん)」の解説

武官若手ながらも趙国への救援軍5000の兵を率いる、一騎当千偉丈夫熱血武人対決相手王齕からも「なかなか上等の武を備えて生まれて」きていると評される程の天性の武の才を持つが、その武技荒削りで、剣戟際しょっちゅう剣を折っていた。荘丹から大呼吸を教わり急速に磨きがかかる

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