李仁孝とは? わかりやすく解説

仁宗 (西夏)

(李仁孝 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/17 18:19 UTC 版)

仁宗 李仁孝
西夏
第5代皇帝
王朝 西夏
在位期間 1139年7月 - 1193年10月16日
姓・諱 李仁孝
諡号 聖徳皇帝
廟号 仁宗
生年 元徳6年(1124年
没年 乾祐24年9月20日
1193年10月16日
崇宗
漢人
后妃 罔皇后
章献欽慈皇后羅氏
陵墓 寿陵
年号 大慶 : 1140年 - 1143年
人慶 : 1144年 - 1148年
天盛 : 1149年 - 1169年
乾祐 : 1170年 - 1193年

仁宗(じんそう)は、西夏の第5代皇帝。諱は仁孝。崇宗の次男。兄は李仁愛。弟は李仁友襄宗の父)。

生涯

その治世はとの友好な関係の下、漢人の大臣を登用するなど文化政策に力を注いだ。その結果国内に学校を整備し教育を行い、また科挙を実施して人材登用を進めた。さらに儒教に対しては孔子廟を改修し、仏教ではチベットより僧を招き、多くの仏典を出版させた。この他に翰林学士院を設置して実録を記録させたほか、『新律』や『天盛年改新定律令』と礼楽や律令の整備にも尽力した。

これらの政策は結果として軍事力の軽視につながり、治世晩年は対外戦争で敗戦が続くようになった。また外戚の台頭も認められ、西夏はこれ以降国勢を衰退させていくこととなる。

先代
崇宗
西夏の第5代皇帝
1139年 - 1193年
次代
桓宗

李仁孝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/24 23:41 UTC 版)

大水滸シリーズの登場人物」の記事における「李仁孝」の解説

楊令伝西夏若き皇太子。かつて遼に赴いたことがあり、蕭珪材とも交流がある。西域への交易路開拓求めてやって来た韓成会見する側近奎道と共に交易の利を国庫入れるべきとして政治積極的に関与していたが毒殺される

※この「李仁孝」の解説は、「大水滸シリーズの登場人物」の解説の一部です。
「李仁孝」を含む「大水滸シリーズの登場人物」の記事については、「大水滸シリーズの登場人物」の概要を参照ください。

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