韓愈とは?

かん ゆ 【韓愈】 ○

768~824中国中唐儒者文人。字(あざな)は退之、諡(おくりな)は文公昌黎ようれい)と号。唐宋八大家の一。「文は道を載せる道具」として四六駢儷(べんれい)体を排し、古文提唱。詩をよくし、白居易並び称され、また儒学復古唱えて、文章学問とも後代大きな影響を残した。詩文集「昌黎先生集」「昌黎先生外集」

かんゆ 【韓愈】

中国唐の儒者文人。字は退之。号は昌黎唐宋八大家一人。「文は道を載せる道具」として四六文体を排し、古文提唱した。また仏教道教も排し、儒学復古唱え後代影響与えた。詩は白居易並称される。詩文集あり。文公とも。(七六八~八二四)

韓愈

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/01 03:46 UTC 版)

韓 愈(かん ゆ、768年大暦3年) - 824年12月25日長慶4年12月2日))は、中国中期を代表する文人士大夫である。退之(たいし)。孟州河陽県(現在の河南省焦作市孟州市)の人。鄧州南陽(河南省)の出身・弓高侯韓頽当(韓王信の子)の末裔であると自称した。唐宋八大家の一人。によって「韓文公」ともよばれる。  徳宗の貞元八年(七九二)、二五歳で進士に及第した。政治的には柳宗元より保守的であったが、中小地主層に対しても同情を示し、かなり複雑な官吏生活を送った。広東省に二度左遷され、二度目の「仏骨を論ずる表」で憲宗が仏骨を宮中に入れるのに反対した時などは、あやうく死刑になるところだった。しかしながら、その前にすでに刑部侍郎の職にあり、憲宗の死後には吏部侍郎になっているのであるから、朝廷の重臣として、世間の常識としては、ときめいていたように見える。たが、その晩年の韓愈の胸中は、詩文に表れたところから判断しても、必ずしも最後の安定の姿を示しているとは言い切れないようである。かれには解決すべき多くの問題が、なおも残されていたからである。  韓愈は普通、唐の四大詩人のひとりに数えられる。また、古文作家としては柳宗元とともに唐の二大家であるだけでなく、それ以降の文章、すなわち古文のもっともすぐれた作者として民国初年に至るまで、人びとが規範としてきた近世風の文章の開祖的存在である。同時にまた道学の先声として朱子学系統の人びとに影響を与え続けてきた。そして特に道の文学が尊重されてきた近世の士大夫の文学においては、柳宗元よりも高く評価されてきたのである。


  1. ^ 唐会要』巻47「議釈教」上


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