じゅ‐がく【儒学】
じゅがく 【儒学】
儒教
(儒学 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/13 03:24 UTC 版)
儒教(じゅきょう)は、孔子を始祖とする思考・信仰の体系。紀元前の中国に興り、東アジア各国で2000年以上に亘り強い影響力を持つ。その学問的側面から儒学、思想的側面からは名教・礼教ともいう。大成者の孔子から、孔教・孔子教とも呼ぶ。中国では、哲学・思想としては儒家思想という。
注釈
出典
- ^ 『礼記・中庸』
- ^ 荘子天運篇
- ^ 朱子・語類巻14より。これは即ち、四書の読み順まで記している。(儒教の世界観においては)天から与えられた至徳を明らかにする事、知を致し物に格る。中こそは天下の大本であり、和こそは天下の達道である。中と和を極致に達せしめた時、天地の秩序は定まり、万物は生成発展する。儒教の目的とその目的達成への目標が掲げられたのが「三綱領」・「八条目」であり、朱熹は道統論を唱え自らの「学」の正当性を主張した。堯舜孔孟に「御目にはかかわらずとも、あの道理が心へ来れば道統、朱子の理与心と云はるるが大切の事なり。孟子の後あとの賑かな漢の経術に斯く云は見て取たるに極まる。偖、文章は下卑たこと。孟子と文選幷べたときに、文の上では腕押しなり(=孟子を文選の上位に置く事は愚かしき事)。韓氏が見て、孟子の後道を得たもの無し、と。そこで程子のみ来て、非是蹈襲前人云々なり。道統は中庸の心法、それは大学の事。其致知がすま子ば道統は得られぬ。」
- ^ 土田健次郎『儒教入門』(新)東京大学出版会、2011年12月19日、29頁。ISBN 978-4-13-013150-6。
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- ^ 『周礼・春官宗伯』
- ^ 論語 衛霊公第十五 10
- ^ 『論語』の泰伯篇
- ^ 『易経 下繫辭傳』 Archived 2012年3月13日, at the Wayback Machine.
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- ^ 白川「孔子伝」
- ^ 『史記』孔子世家
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- ^ a b 『世界哲学史2』121-123ページ
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- ^ 吾妻重二『宋代思想の研究』(新)関西大学出版部〈遊文舎〉、2009年3月18日、72頁。ISBN 978-4-87354-468-7。
- ^ 湯浅邦弘『概説中国思想史』(新)ミネルヴァ書房〈ミネルヴァ書房〉、2010年10月25日、116頁。ISBN 978-4-623-05820-4。
- ^ 湯浅邦弘『概説中国思想史』(新)ミネルヴァ書房〈ミネルヴァ書房〉、2010年10月25日、264頁。ISBN 978-4-623-05820-4。
- ^ 園田茂人 『不平等国家 中国--自己否定した社会主義のゆくえ』 中央公論新社、2008年5月25日、177-178頁。ISBN 9784121019509
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- ^ 朱子学の伝統は現代社会の危機を救える | ハフポスト LIFE
- ^ 子安室邦 1993「儒教にとっての近代J 『季刊 日本思想史』 41号
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- ^ 永井 和「戦後マルクス主義のアジア認識」
- ^ 吉本隆明の183講演 - ほぼ日刊イトイ新聞 〈アジア的〉ということ
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- ^ 「中世ジャップランド」と「ヘル朝鮮」──SMAPとJYJで繋がった日韓のネットスラングの共通性(松谷創一郎) - 個人 - Yahoo!ニュース
- ^ 湯浅赳男『面白いほどよくわかる 世界の哲学・思想のすべて』日本文芸社、平成17年2月1日改訂第1版、ISBN 4-537-11501-7、p72
- ^ 加地伸行 『沈黙の宗教-儒教』 筑摩書房〈ちくまライブラリー〉/ 改訂版・ちくま学芸文庫、2011年
- ^ 孔子まつる那覇の施設 使用料免除は憲法違反 最高裁大法廷 | 憲法 | NHKニュース
儒学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 01:26 UTC 版)
政治のあり方や自己の生き方についての指針を求めるものが多くなった。忠孝・礼儀を重視した林羅山らの朱学派は、文治政治を裏付ける学問として主流となるとともに、封建社会を支える教学として幕府や藩に支持された。朱子学から陽明学派に転じた中江藤樹は知行合一を説いた。また、山鹿素行や伊藤仁斎、荻生徂徠ら古学派は、古典を研究し儒学古来の精神や文物を学ぶことを主張した。江戸幕府による安定した統治が長く続くにつれ、藩校における教育は、武術教育から次第に儒学を軸とした官吏育成教育へと変わっていくが、固定した身分制度の中で、技術の養育は「職人」に固定されていく。しかし、一般の子どもたちに、少なくとも「読み・書き・そろばん」を教える寺子屋 も生まれていく。読み書きのほか職業別の知識は「往来物(おうらいもの)」(商売往来、庭訓往来 、百姓往来など)、地名や地理は「国尽(くにづくし)」(日本の諸国の名をすべて挙げて、歌いやすいようにつないだもの)、名字は「名字尽」など様々な教材があった。
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儒学
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藤原惺窩(1561-1619)は日本近世儒学の先駆けとなった。『千代もと草』には次のように記される。天照大神は日本の主であるが、その神宮は茅葺であり、食事は黒米である。家居を飾らず珍しい物を食べずに天下万民を憐れむ。神武天皇以来、この掟を守って道を行ったため、後白河法皇まで代々子孫に天下を伝えて栄えた、と。また、神道については、万民を憐み慈悲を施すことを極意とする点において神道も儒教も同じであるという。 林羅山(1583-1657)は藤原惺窩に学び、日本儒学の棟梁になった。その著『本朝神社考』で、仏教を憎み、神仏習合を排斥した。また韻文で「倭賦」を作って神国日本の霊秀を詠じた。 山鹿素行(1622-1685)は林羅山に学び別に一家を立てた。兵法家として知られるが本人は儒者を自任した。幕府の忌憚に触れ赤穂に配流された。配流中の寛文9年(1669)に『中朝事実』を著した。同書では、日本の政教の淵源を説き、天照大神の天孫降臨の神勅によって皇統の無窮が永久に定まったことを述べ、また、日本が神国である所以を論じた。この書は日本を中朝、中華、中国と称した初めての例であった。山鹿素行はまた『配所残筆』を著して、他国と異なり優秀である日本の国体の淵源を説いた。 熊沢蕃山(1619-1691)は陽明学者として皇国の尊厳を高唱した。著書『集義外書』で「日本は辺土なれども太陽の出たまう国にして人の気質もっとも霊なり」といい、また著書『集義和書』で、仁義礼知信や智仁勇の論が日本にないようにみえるが、日本においては三種の神器を不言の経典となし、これらの諸徳の教えは全てこの神器によって表象されているのだと論じた。蕃山はまた、日本の皇祖は呉の太伯の後裔であるとの説を立てたが、この説は後に批判された。蕃山の著とされる『三輪物語』には「本朝は三界の根源にして神明をもって元祖とす。神明は宇宙の宗廟なり。我が国開闢の初め天地と共に神明あらわれ給えり。故に国を神国といい道を神道という。」「千界の源、万国の本は、我が国なり。」「我が朝の皇統を至尊と仰ぎ奉ることは本よりの義なり。」と記された。
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儒学
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『天論』は柳宗元の『天説』に呼応するもので、天に関する考え方を変革する先鞭となった。従来の天人相関説に異議を唱え、天は万物を生成するだけであり、人は法によってそれらを制御することができると説いた。
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