子路とは? わかりやすく解説

しろ【子路】

読み方:しろ

[前543〜前481中国春秋時代の人。孔門十哲一人(ろ)の人。姓は仲、名は由。武勇にすぐれ、孔子によく仕えたが、衛の内乱殺された。季路


しろ 【子路】

孔子門人孔門十哲一人)。姓は仲、名は由、子路は字。季路とも。の人。もと無頼漢だったが、孔子感化され入門顔回と共に孔子愛弟子となった。勇を好み孔子献身的に師事した。(前五四二前四八〇)

子路

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/20 10:03 UTC 版)

母のために米を背負って百里歩いた二十四孝の話にちなんだ像
『読書の月』(月岡芳年『月百姿』)

子路(しろ、紀元前543年 - 紀元前481年[注釈 1])は、孔門十哲の一人である。姓は、名はであるが、『論語』ではの子路をもってしばしば言及される。季路とも呼ばれる。また、二十四孝の一人に選ばれることもある。

生涯

国出身。孔子門下でも武勇を好み、そのためか性格はいささか軽率なところがある反面、質実剛健たる人物であった。『論語』には、性格の軽率さを孔子にとがめられるも、その人物の率直なるを持って愛された姿が記される(「我とともにするは、それ由なるか」)。弟子の中で『論語』に出てくる回数が最も多い。

史記』「孔子世家」と「衛康叔世家」によれば、の高官にとりたてられ、衛の太子蒯聵の反乱を諫めたが、しまいには「太子には勇気がない。この高殿を放火すれば、太子はきっと孔悝中国語版を放逐されるだろう」と言い放ったために、激怒した蒯聵の家臣の石乞と于黶が投げた戈で落命した。死の直前、冠の紐を切られた彼は、「君子は冠を正しくして死ぬものだ」と言って結びなおしたという。子路の遺体は「醢(かい、ししびしお)」にされた(死体を塩漬けにして、長期間晒しものにする刑罰)。これを聞いた孔子は悲しみにより、家にあったすべての醢(食用の塩漬け肉)を捨てさせたと伝えられる。

子路與子羔仕於衞。衞有蒯聵之難。孔子在魯聞之、曰、柴也其來。由也死矣。既而衛使至。曰、子路死焉。夫子哭之於中庭。有人弔者、而夫子拜之。已哭。進使者而問故。使者曰、醢之矣。遂令左右皆覆醢。曰、吾何忍食此。

孔子,『孔子家語

明治書院版『孔子家語』の訳者である宇野精一は、「衛の人が子路の遺体を塩漬けにしたのは、単に刑罰として行ったのではなく、おそらくその肉を食ったのだろう。それは勇者の肉を食うことに意味があったのだと考えられる」としている[1]。なお、勇者の肉を食らうことはよくみられる現象であり、トマス・アクィナスの遺体も弟子たちによって食されている[2]

子路が国の大夫である孔悝の荘園の行政官になっていたころ、衛国に父子の王位争いが起こり、子路は騒動にまきこまれて、殺された。子路の遺体は細かく切りきざまれ、「」(死体を塩漬けにする「刑罰」)にされたという記述は『礼記』『東周列国志』『荘子』などにも記されている。

論語中の子路

彼は最初、雄鶏を帽子につけ、豚の皮を腰の剣につけて孔子に無礼を働いた。孔子は彼を次第に導き、彼はその弟子となった。孔子は彼が勇敢であること、大胆であることを戒めることが多かった。例えば子路が「聞いたことはすぐに行いましょうか」と尋ねると慎重にするように言い、冉有が同じことを聞いたとき「すぐに行え」と言った。赤がこれについて尋ねると「由は人をしのぐからこれを押さえた」と述べた(先進編)。

また、ある時孔子は「道が行われないから、いっそ海に出ようか、ついてくるのは由だろう」とその勇敢さを取り上げて彼を喜ばせたが、それに続いて「しかし君には筏の材料がないね」と言った(公冶長編)。他方で、彼の琴の音を孔子が批判したために他の門人が彼を軽んじたときには、「由はすでに堂には上がっているのだ」と述べ、彼がすでに高い境地にいることを語っている(先進編)。

また、ある時には、「敝たる縕袍を衣、孤貉を衣たる者と立ちて恥じざる者は、其れ由なるか」と外見を取り繕うことのない姿勢を評した(子罕編)。

子路を扱った小説

  • 中島敦の小説『弟子[1]
    • 孔子に弟子入りした子路がその直情径行な性格と儒学の大きな差の中で苦しみつつ学んでいく姿と、子路を叱りつつも彼を愛した孔子とを情感豊かに描いている。

脚注

注釈

  1. ^ 生没年については(紀元前542年 - 紀元前480年)とする資料もある[要出典]

出典

  1. ^ 『孔子家語』 53巻、宇野精一 訳、明治書院〈新釈漢文大系〉、1996年10月10日、588頁。ISBN 978-4625570537 
  2. ^ 稲垣良典『トマス・アクィナス』講談社講談社学術文庫〉、1999年5月10日、234頁。 ISBN 4061593773 

関連項目


子路(しろ)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/26 14:49 UTC 版)

陋巷に在り」の記事における「子路(しろ)」の解説

子路は字、姓名仲由ちゅうゆう)。暴れ者であった孔子心酔し弟子入り弟子の中では年長兄貴分存在季孫氏の宰となる。

※この「子路(しろ)」の解説は、「陋巷に在り」の解説の一部です。
「子路(しろ)」を含む「陋巷に在り」の記事については、「陋巷に在り」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「子路」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



子路と同じ種類の言葉


固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「子路」の関連用語

1
季路 デジタル大辞泉
92% |||||

2
斗筲の人 デジタル大辞泉
92% |||||

3
狂狷 デジタル大辞泉
76% |||||

4
侠者 デジタル大辞泉
58% |||||

5
剛毅木訥仁に近し デジタル大辞泉
58% |||||

6
君命を辱めず デジタル大辞泉
58% |||||

7
手足を措く所なし デジタル大辞泉
58% |||||


9
和して同ぜず デジタル大辞泉
52% |||||

10
宿諾 デジタル大辞泉
52% |||||

子路のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



子路のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
中経出版中経出版
Copyright (C) 2025 Chukei Publishing Company. All Rights Reserved.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの子路 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの陋巷に在り (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS