卞和とは? わかりやすく解説

べん‐か〔‐クワ〕【卞和】

読み方:べんか

中国春秋時代(そ)の人。山中得た宝玉原石の厲王(れいおう)に献じた信じてもらえず左足切られ次の武王のときにも献じたが、ただの石だとして右足切られた。文王が位につき、これを磨かせると、はたして玉であったので、この玉を「和氏(かし)の璧(たま)」と称した。のち、趙(ちょう)の恵文王がこの玉を得たが、秦の昭王15の城と交換したいと言ったので、「連城の璧」とも称された。


卞和

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/18 15:51 UTC 版)

卞 和(べん か、生没年不詳)は、春秋時代前期のに住んでいたとされる男。和氏(かし)とも呼ばれる。韓非の著した『韓非子』の和氏篇において、法術の士の孤独を説明する為の説話で登場する。

略歴

あるとき卞和は山中で玉の原石を見つけ楚の厲王(蚡冒)に献上した。しかし厲王が職人に石を鑑定させると、ただの石ころだと言った為、卞和を足斬りの刑にして左足を切り落とした。

厲王が死に、弟の武王が即位すると、卞和は再び原石を献上した。しかし結果は同じで、武王も卞和を嘘つきとして右足を切り落とした。

武王も死に、子の文王が即位した。卞和は原石を抱きかかえて三日三晩血の涙を流し泣き悲しんだ。文王は人を遣わして、足斬りの刑を受けた者は沢山いると言うのに何故そのように悲しむのか、その訳を問い質した。卞和は、足斬りにあった事が哀しいのではなく、宝石なのに石ころと言われた事、正しい事を言ったのに嘘つきと言われた事が悲しいと答えた。

文王が原石を磨かせてみると、それは見事な宝石となった。そこで文王は、自分達の非を認めた上で卞和を賞し、この宝石を「和氏の璧」と名付け、楚の国宝とした。この和氏の璧ははるか後に、戦国時代へと渡り、「完璧」の故事の由来となる(藺相如の項を参照)。

和氏の璧

和氏の璧は、暗闇で鈍く光り、置いておくと夏は涼しく、冬は暖かくしてくれ、虫除けにもなったという言い伝えがある。そのため、春秋戦国時代では最高の宝石として位置づけられており、上述の「韓非子」以外にも「史記」、「十八史略」などの書物にも登場している。しかし、趙没落後は歴史上には登場せず、行方知れずとなっている。

一説では、趙の滅亡後に中原を統一したに渡り、始皇帝が和氏の璧を玉璽伝国璽)にしたとされ、その後王朝の歴代皇帝もその玉璽を使用していたとされる。「三国志演義」などでもその説を採っているが、仮に和氏の璧=伝国璽だとしても、五代十国時代946年後晋出帝太宗に捕らえられた時に伝国璽は紛失してしまっており、現存する可能性は低いと考えられている。

また、完璧の故事由来から「連城の璧」とも呼ばれる。




卞和と同じ種類の言葉


固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「卞和」の関連用語

1
和氏の璧 デジタル大辞泉
92% |||||


3
8% |||||

4
8% |||||

5
8% |||||

6
6% |||||


8
4% |||||

9
2% |||||

卞和のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



卞和のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの卞和 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS