武勇とは? わかりやすく解説

ぶ‐ゆう【武勇】

読み方:ぶゆう

武術にすぐれ、勇気のあること。強くていさましいこと。「—の誉れ高い丈夫」


武勇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 18:29 UTC 版)

劉裕」の記事における「武勇」の解説

孫恩の乱起きたとき、数十人の兵卒率いて偵察出た。そこで数千敵兵に見つかり包囲された。多く配下殺されところに劉敬宣援護を受け、撃退を果たす。このエピソードが後に「一人数千人を殺す武勇を見せた」と伝わる。 桓玄打倒のため建康攻め上る中、桓玄軍の剛将の呉甫之・皇甫敷と遭遇。この戦いで決起同胞である檀憑之戦死、あわや総崩れなりかけたが、劉裕自ら陣頭立ってこの両将を討ち取り逆転勝利おさめた

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武勇(たけ いさむ)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/21 05:23 UTC 版)

BUYUDEN」の記事における「武勇(たけ いさむ)」の解説

本作主人公で、イケメン秀才スポーツ万能三拍子揃った少年。何でも簡単に一番になれてしまう日常退屈していたが、後に転校してきた萌花一目惚れしたことをきっかけボクシング始めたが、次第才能開花させていき、ボクシングのめり込んで行く。

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武勇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/08 07:21 UTC 版)

祖逖」の記事における「武勇」の解説

石勒祖逖連戦して敗れ彼の武威恐れた。そのため後趙領内にある祖逖祖父墓地修理して墓守置いたりした。また祖逖部下が罪を犯して後趙逃れて来た際には匿わずにその首を斬って送り返すなど、常に祖逖意を迎える事に務めたという。 朝廷権力独占図っていた王敦にとって目の上の瘤祖逖だったが、その祖逖死んだ事に喜んで以後ますます野心露骨に出したという。 祖逖が死ぬと、豫州の民はこぞって涙を流し彼のために祠を建てる事が続いたという。

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武勇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/23 13:46 UTC 版)

前田利家」の記事における「武勇」の解説

利家は三間半柄(約6m30cm)の長く派手な造り持ち歩き初陣以降緒戦槍先による功を挙げた武辺者であったため、槍の又左異名称えられた。元服前の小姓前田犬千代として初陣した萱津の戦いでは、合戦の際に目立つ様、自ら朱色塗った上記三間半柄持って首級ひとつを挙げる功を立て信長は「肝に毛が生えておるわ」と千代賞賛した。 元服直後参戦した稲生の戦いでは、合戦中に敵方宮井勘兵衛により右目の下に矢を受け、味方が引くことを促すも、「まだ一つ首級挙げてない」と顔に矢が刺さったまま敵陣飛び込み、弓を射た宮井本人討ち取る功を立て信長大い喜び、「千代はまだかような小倅ながらもこのような功を立てたぞ」と、合戦中に味方鼓舞したとの逸話が残る。この時、利家は矢を抜くことなく戦後首実検にも参加したという。 稲生合戦の後、浮野の戦いでも槍先による功を挙げ、この戦いの際に槍の又左異名がついたとも言われる姉川浅井攻めでは浅井助七郎なる者を討ち取るなどの活躍をみせ信長から「今にはじまらず比類なき」と賞賛され、大坂本願寺攻めでは、春日井堤を退却する味方の中でひとり踏みとどまって敵を倒し、無事味方退却させたことから「日本無双」「堤の上」と称えられている。 長篠の合戦では撤退する武田軍追撃している際に、弓削左衛門なる者に右足深く切り込まれる重傷負い危うく命を獲られそうになった所を家臣村井長頼助けられ一命得た加藤清正は利家からあまり兵法軍略の話を聞かないと言った嫡子・利長に対し、「あれ程武略通じた父上おられるのに勿体ない」と言って羨ましがったという。利家は生涯38の戦に参戦しその戦い方は織田信長の下で得たものであった普段から合戦については「合戦の際は、必ず敵の領内踏み込んで戦うべきだ、わずかでも自分領国踏み込まれてはならない信長公がそうであった。」と説いていた。またある時、女婿宇喜多秀家が利家の戦法質したところ、「先手にいくさ上手な者を一団、二団と配備し大将本陣こだわらず馬を乗り回し先手奮戦させて思いのままに兵を動かす」という信長流の戦い方語ったという。 坂本城天守夜な夜な幽霊が出るという噂立ったとき、自ら肝試し志願して一晩過ごし何ごともなかったように天守から戻ってきたため、秀吉から豪胆ぶりを讃えられたと言われている。また、この時に天下五剣一つ大典太下賜されと言われている。

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武勇(赤/黒)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/01 01:20 UTC 版)

WIXOSS」の記事における「武勇(赤/黒)」の解説

セレクターズパックVol.11から登場古今東西英傑由来

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武勇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 00:18 UTC 版)

張飛」の記事における「武勇」の解説

劉備皇帝即位した直後詔勅では、張飛の事を古代の召虎に喩えて、その武勇を賞讃している。また、曹操の参謀であった程昱らから「張飛勇猛さ関羽に次ぐ」さらに「1人1万の兵に匹敵する」と、郭嘉同様に張飛関羽は共に1万の兵に匹敵するとし、劉備為にを以て働いていると、董昭関羽、張飛劉備羽翼であり恐れるべきであると、また劉曄にも「関羽張飛の武勇は三軍筆頭である」と評されており、孫権軍重鎮である周瑜からも「張飛関羽従えれば大事業成せる」と評されるなど、その武勇は天下広く評価されていた。 ただ、張飛士大夫呼ばれる知識人層には敬意をもって応対したものの、身分の低い者、兵卒などには暴虐であった。多すぎる死刑の数と、いつも兵士鞭打っている上にその当人を側に仕えさせていることを、劉備からは常々注意されていた。しかし張飛改めることができず、ついに死に直結する事態を招くこととなった三国志著した陳寿は、蜀志「関張馬黄趙伝」の張飛伝の最後に張飛関羽人物評併せて載せこのように括っている。 .mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}関羽・張飛二人は、一騎の敵に対する武勇があると賞賛され、一世を風靡する剛勇持ち主であった関羽顔良斬ることで曹操恩返し果たし去り張飛厳顔義心感じ入ってその縄目解き両者並んで国士と呼ぶに相応し気風備えていた。しかし、関羽剛毅が行きすぎて傲慢であり、張飛は乱暴で部下恩愛をかける配慮無く、これらの短所が仇となって敢え無く最期を遂げることとなった理数の常(=道理からして当然)である。(「關羽 張飛皆稱萬人之敵 為世虎臣報效曹公 飛義釋嚴顔有國士之風 然羽剛而自矜 飛暴而無恩 以短敢敗 理數之常也」『蜀志巻六・関張馬黄趙伝』)。 陳舜臣はこれを、関羽張飛も、共に低い身分から士大夫出世したが、関羽場合今や同じ身分となった士大夫に対して傲慢な振る舞いとなり、張飛場合士大夫出世したことを喜んで同じ身分の者には敬意払ったが、下の者に対して傲慢になるという正反対行動になった解釈している。 唐の史館選んだ中国史上六十四名将関羽と共に選ばれている(武廟六十四将)。

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武勇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/29 09:14 UTC 版)

山中幸盛」の記事における「武勇」の解説

尼子十勇士」の筆頭とされるまた、尼子武将の中で特に智勇忠義に優れた3人、「尼子三傑」(「尼子三勇」)の1人とされる山名軍で猛将として知られ菊池音八や、高野監物有名な品川将員との闘い松永久秀配下河合将監いずれも一騎討ち討ち取っている。 首供養2度行っている。首供養は、33首級挙げた1回行う。つまり、生涯66上の首級挙げたことになる。 幸盛は、生まれて数ヶ月4・5歳の子供のように見え2・3歳頃には武勇と智略優れ遊戯も普通の子供と異なり8歳のとき人を討った10歳の頃から弓馬軍法学び13歳のときに敵を討ち取って手柄をたてた。成長するにつれ、器量世に超え、心は強く深謀遠慮、人を賞するにあたって依怙贔屓えこひいき)がなかった。 16歳のある春の日、幸盛は「今日より30日以内に武勇の誉れ戦功)を挙げたい」と三日月祈ったほどなくして主君尼子義久山名氏伯耆尾高城攻め、幸盛もこれに随行する。この戦いで幸盛は、因伯(現在の鳥取県)に鳴り響く豪傑菊池音八を一騎討ち討ち取り戦功挙げるこのため幸盛は、これより一生の間、三日月信仰したという。 永禄5年1562年)、毛利軍出雲攻め入り尼子軍拠点月山富田城包囲する。幸盛が1人城下民家休息していると、毛利軍の兵30 - 40騎余が攻め寄せてきた。幸盛は民家から出ると、最初に乗り駆けてきた2人の兵を切って落とし続いて来た兵も乱戦して16・17人を討ち取った残った兵も幸盛1人切り立て撃退している。撃退後、幸盛は民家年老いた尼に「飯はないかと言って尋ね出され盛られた飯を食べ富田月山城帰った尼子氏滅亡し諸国放浪していた幸盛が一晩宿を借りて寺に泊まっていた際、盗賊14人が寺を襲ってきた。幸盛は謀略用い1人盗賊すべてを生け捕りにしてしまった。盗賊は「今まで盗みをすること約100回、戦い70回あまり行いましたが、このようなことは初めてです。名前を教えてください」と尋ねたが、幸盛は「何を言う、さっさと去れと言って、名前を告げず立ち去った品川大膳との一騎討ちについては、史料により異同がある。尼子側の記述『雲陽軍実記』『太閤記』では、品川は弓を使って鹿介を攻撃しようとしたが、尼子氏武将に弓を用いて邪魔をされ失敗し、鹿介と品川接近戦行い一進一退の攻防の末に鹿介が品川見事に討ち取った記されている。毛利側の資料『陰徳太平記』では、品川優勢に勝負進め、鹿介は追い詰められたが僚友秋上宗信助力勝った記されている。史料によって異同があり事実不明であるが、参考として史料成立としては『雲陽軍実記』の方が『陰徳太平記』より100年前古く『太閤記』『陰徳太平記』より数十早く執筆されている。なお、それぞれの史書は、その成立上の経緯もあり、歴史上の事実とは異な部分多く一次資料としての信憑性については、各項目を参照のこと(詳細は「山中幸盛・品川将員の一騎討ち」を参照)。

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武勇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 01:07 UTC 版)

英雄伝説 軌跡シリーズの登場人物」の記事における「武勇」の解説

尋常ではない達人居並ぶ結社中でも最強目されており、あらゆる武術精通し、《理》に至った達人であるアリオスをしてその強さは「人の域を超える」と言わせ、《聖痕》を持つワジをして「人間の身では勝てないことが決まっているような強さ」と言わしめるほどの圧倒的な武力を誇る。

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