郯子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/20 10:06 UTC 版)
郯子(たんし、生没年不詳)は、『二十四孝』に記載がある人物。春秋時代の郯の君主である。己姓の子爵。道徳を構え、仁義を施し、百姓に恩威に感じられていた。
逸話
鹿乳奉親
郯子が君主位に就く前、君主と側室(つまり両親)は眼病を患っていた。治すには鹿の乳が必要であった。郯子は鹿の皮を被って、鹿の群れに紛れ、鹿乳を絞りとろうとした。猟師は一匹の動かない鹿(この鹿は郯子である)を射ようとすると、郯子は急いで鹿の皮を脱ぎ、猟師に事情を説明した。猟師は感動し、鹿の乳を渡した[1]。
昭公問官
魯の昭公17年、郯子は魯への2回訪問した。昭公は郯子をもてなす宴会を主催した。魯の叔孫婼(叔孫昭子)は古帝の少昊が官名に鳥をつけている理由を問うた。郯子は経典より引用して解説した。当時、孔子は魯に居て、この事件を聞いた後、郯子から官制を学んだ。これが「孔子師郯子」の由来である。
脚注
参考文献
郯子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/11 00:08 UTC 版)
郯子(たんし)には年老いた両親がおり、眼を患っていた。鹿の乳が眼の薬になると聞いた両親は、郯子に欲しいと願った。郯子は鹿の皮を身にまとい、鹿の群れに紛れて入った。そこへ猟師が本物の鹿と間違えて郯子を射ようとしたが、郯子が「私は本物の鹿ではありません。郯子と言いまして、親の願いを叶えたいと思い、こうやって鹿の格好をしているのです」と言うと、猟師は驚いてその訳を聞いた。孝行の志が篤いので射られずに帰り、親孝行をすることが出来た。
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