郭黙を救援
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 08:48 UTC 版)
314年6月、大将軍劉琨の任じた河内郡太守郭黙は漢軍から攻撃を受けており、進退窮まって李矩に帰順を請うた。その為、李矩は外甥である郭誦を派遣して迎え入れさせたが、郭黙は漢軍の攻撃を恐れて進むことが出来なかった。その後、西晋の首都長安が漢の大司馬劉曜・平西将軍趙染らに攻撃されると、劉琨は参軍張肇に鮮卑五百騎余りを派遣して救援させたが、郭黙が漢軍に包囲されていた事により道路が塞がれて進めなかったので、諦めて厭次に拠っていた邵続の下へ向かおうとした。その途上で張肇は李矩の陣営を通りかかり、李矩へ郭黙の状況を話した。これに李矩は「黙は劉公(劉琨)が任命したものではありますが、すべて国家の事を考えるならば、これを知った以上応じないわけにはいきますまい」と述べ、郭黙救援を決断した。匈奴屠各種(漢軍の中核を為していた部族)はかねてより鮮卑を恐れていた事から、李矩は張肇に援護するよう要請すると、張肇はこれに応じた。李矩が救援に到来すると、果たして漢軍は鮮卑兵を見て、戦わずして逃走した。この時、郭誦は密かに小舟で黄河を渡り、勇士を派遣して懐城を夜襲し、留守をしていた漢軍を大破した。こうして、郭黙はその配下を引き連れて李矩に帰順する事が出来た。
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