邵雍とは? わかりやすく解説

しょう‐よう〔セウ‐〕【邵雍】

読み方:しょうよう

邵康節(しょうこうせつ)


邵雍

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/10 03:17 UTC 版)

邵 雍(しょう よう、大中祥符4年12月15日1012年1月11日)- 熙寧10年7月5日1077年7月27日))は、中国北宋時代の儒学者。は堯夫。百源先生・安楽先生と称された。は康節。


  1. ^ 邵伯温『邵氏聞見録』 巻十九。"康節先公先天之學,伯温不肖,不敢稱贊。平居於人事機祥,未嘗輒言。治平間,與客散歩天津橋上,聞杜鵑聲,慘然不樂,客問其故,則曰:「洛陽舊無杜鵑,今始至,有所主。」客曰:「何也?」康節先公曰:「不二年,上用南士爲相,多引南人,專務變更,天下自此多事矣!」客曰:聞杜鵑何以知此?康節先公曰:「天下將治,地氣自北而南;將亂,自南而北。今南方地氣至矣,禽鳥飛類,得氣之先者也。《春秋》書『六鷁退飛』、『鸛鵒來巣』,氣使之也。自此南方草木皆可移,南方疾病瘴瘧之類,北人皆苦之矣。」至熙寧初,其言乃驗,異哉!故康節光公嘗有詩曰:「流鶯啼處春猶在,杜宇來時春已非。」又曰:「幾家大第横斜照,一片殘春啼子規。」其旨深矣。伯温後聞熙州有唐碑,本朝未下時,一日有家雀數千集其上,人惡之曰:「豈此地將爲漢有耶?」因焚之,蓋夷中無此禽也。已而果然,因並記之,以信先君之説。"。 
  2. ^ 瀧遼一『縮刷 東洋歴史大辞典 中巻』臨川書店、1992年、P.335頁。 


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