雪竇重顕とは? わかりやすく解説

雪竇重顕

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/01 07:02 UTC 版)

雪竇重顕
太平興国5年 - 皇祐4年6月10日
980年 - 1052年7月8日
諡号 明覚大師
生地 遂州遂寧県
宗派 雲門宗
寺院 雪竇山資聖寺
智門光祚
著作 『雪竇明覚禅師語録』
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雪竇重顕(せっちょう じゅうけん)は、中国北宋禅僧明覚大師。俗姓は李。は隠之。遂州遂寧県の出身。

生涯

太平興国5年(980年)、儒門を業とする家に生まれる。幼くより家学の薫陶を受けたが、経世儒学に感じ入らず、出家の道を内心望んでいた。

24歳の時に父母が相次いで世を去り、人生の無常を感じて出家する。普安院仁銑によって受具の後、大慈寺の元瑩、石門の蘊聡について教相を究め、南遊して雲門宗の智門光祚に謁し、開悟して、その法を嗣いだ。5年間、雲門宗の祖の文偃に学んで、宗旨の蘊奧を究めた。

詩歌文章にも優れて、翰林の才ありと称された。雪竇山に入り、資聖寺に住して門風大いに振るい、雲門宗の隆盛の基礎を築き、中興の祖といわれた。住山30余年、70余人の門弟を養成した。

皇祐4年6月10日1052年7月8日)示寂。世寿73。法臘50。

雪竇の語録に『雪竇明覚禅師語録』がある。その中の『景徳伝灯録』『趙州録』『雲門広録』等に収録された過去の禅僧が残した百個の公案について自ら偈頌(漢詩)を付した『雪竇頌古』(『雪竇百則頌古』ともいう[1]。)は、後に臨済宗圜悟克勤によって垂示評唱著語を付されて公案集で名高い『碧巌録』となり[1]、その思想は現在に伝わる。

著作

  • 『明覚禅師語録』六巻
  • 『瀑泉集』一巻
  • 『祖英集』一巻
  • 『洞庭語録』一巻
  • 『雪竇開堂録』一巻
  • 『雪竇拈古集』一巻
  • 『雪竇後録』一巻
  • 『雪竇拾遺』一巻

日本語訳注

伝記

出典

参考文献

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