邵陽市
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中華人民共和国 湖南省 邵陽市 | |
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邵陽市の位置 | |
中心座標 北緯27度15分 東経111度28分 / 北緯27.250度 東経111.467度 | |
簡体字 | 邵阳 |
繁体字 | 邵陽 |
拼音 | Shàoyáng |
カタカナ転写 | シャオヤン |
国家 | 中華人民共和国 |
省 | 湖南 |
行政級別 | 地級市 |
建置 | 226年 |
建市 | 1980年 |
市委書記 | 厳華 |
市長 | 華学健 |
面積 | |
総面積 | 20,829 km² |
人口 | |
総人口(2006) | 746.39 万人 |
経済 | |
電話番号 | 0739 |
ナンバープレート | 湘E |
公式ウェブサイト: http://www.shaoyang.gov.cn/ |
邵陽市(しょうよう-し)は中華人民共和国湖南省に位置する地級市。
地理
湖南省の中西部に位置し、懐化市、婁底市、衡陽市、永州市、広西チワン族自治区に接する。主な河川は資江。
歴史
邵陽に初めて行政区域が設定されたのは漢初の昭陵県である。266年(宝鼎元年)、三国時代の呉は零陵郡北部を新たに昭陵郡と設置し、現在の市区に郡治が置かれ、280年(太康元年)、西晋により邵陵郡と改称された。
621年(武徳4年)、唐により長沙郡邵陽県に南梁州が置かれた。636年(貞観10年)、南梁州は邵州と改称された。南宋には年号の宝慶を採用し1225年(宝慶元年)に宝慶府に昇格し、以後中華民国までその名称が踏襲された。
1913年、中華民国により宝慶府は廃止され、邵陽県は宝慶県と改称された。1926年、宝慶県は邵陽県の称にもどされた。さらに中華人民共和国成立後の1950年に邵陽行政専員公署管轄の県級市として邵陽市に昇格、1977年に省轄市となり、さらに1980年に地級市に改編され現在に至る。
行政区画
3市轄区・2県級市・6県・1自治県を管轄下に置く。
邵陽市の地図 |
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年表
邵陽地区(1949年-1983年)
- 1949年10月1日 - 中華人民共和国湖南省邵陽専区が成立。邵陽県・新寧県・城歩県・武岡県・隆回県・新化県が発足。(6県)
- 1950年10月19日 - 邵陽県の一部が分立し、邵陽市が発足。(1市6県)
- 1951年7月7日 - 新化県の一部が分立し、錫鉱山特区が発足。(1市6県1特区)
- 1952年2月16日 (1市9県1特区)
- 1952年8月24日 - 錫鉱山特区が新化県に編入。(1市9県)
- 1952年11月13日 - 益陽専区湘郷県・双峰県・漣源県を編入。(1市12県)
- 1954年4月 - 城歩県の一部が広西省桂林専区竜勝各族自治区に編入。(1市12県)
- 1954年8月23日 - 城歩県の一部が広西省桂林専区竜勝各族自治区に編入。(1市12県)
- 1956年11月3日 - 城歩県が自治県に移行し、城歩ミャオ族自治県となる。(1市11県1自治県)
- 1958年6月20日 - 黔陽地区綏寧県を編入。(1市12県1自治県)
- 1961年7月9日 (3市12県1自治県)
- 1962年10月20日 (1市12県1自治県)
- 婁底市が漣源県に編入。
- 冷水江市が新化県に編入。
- 1965年7月10日 - 湘郷県が湘潭専区に編入。(1市11県1自治県)
- 1969年10月10日 - 新化県の一部が分立し、冷水江市が発足。(2市11県1自治県)
- 1970年 - 邵陽専区が邵陽地区に改称。(2市11県1自治県)
- 1977年9月29日 - 冷水江市・漣源県・双峰県・新化県・邵東県・新邵県が漣源地区に編入。(1市6県1自治県)
- 1980年2月20日 - 邵陽市が地級市の邵陽市に昇格。(6県1自治県)
- 1983年2月8日 - 邵陽県・隆回県・洞口県・武岡県・新寧県・綏寧県・城歩ミャオ族自治県が邵陽市に編入。
邵陽市
- 1980年2月20日 - 邵陽地区邵陽市が地級市の邵陽市に昇格。東区・橋頭区・西区・郊区が成立。(4区)
- 1983年2月8日 - 邵陽地区邵陽県・隆回県・洞口県・武岡県・新寧県・綏寧県・城歩ミャオ族自治県、婁底地区冷水江市・新化県・邵東県・新邵県を編入。(5区9県1自治県)
- 冷水江市が区制施行し、冷水江区となる。
- 1983年7月13日 (4区2県)
- 邵陽県・隆回県・洞口県・武岡県・新寧県・綏寧県・城歩ミャオ族自治県が邵陽地区に編入。
- 冷水江区・新化県が婁底地区に編入。
- 1986年1月17日 - 邵陽地区邵陽県・隆回県・洞口県・武岡県・新寧県・綏寧県・城歩ミャオ族自治県を編入。(4区8県1自治県)
- 1987年2月12日 - 橋頭区が東区に編入。(3区8県1自治県)
- 1994年2月18日 - 武岡県が市制施行し、武岡市となる。(3区1市7県1自治県)
- 1997年8月29日 (3区1市7県1自治県)
- 2019年7月12日 - 邵東県が市制施行し、邵東市となる。(3区2市6県1自治県)
邵陽地区(1983年-1986年)
- 1983年7月13日 - 邵陽市邵陽県・隆回県・洞口県・武岡県・新寧県・綏寧県・城歩ミャオ族自治県を編入。邵陽地区が成立。(6県1自治県)
- 1986年1月17日 - 邵陽県・隆回県・洞口県・武岡県・新寧県・綏寧県・城歩ミャオ族自治県が邵陽市に編入。
交通
鉄道
- 婁邵線(婁底市 - 邵陽市)
道路
- 滬端高速道路
出身者
- 魏源 - 清末の学者。字は黙深。経世実用の学と史学に興味をもち、春秋公羊学を根幹にすえ、中国社会の内部的崩壊と、西欧列強の圧迫による民族的危機とを自覚して、多くの書物を著わす。特に、「海国図志」は幕末・明治初期の日本の知識階級に影響を与えた[3]。
- 蔡鍔 - 清末民初の軍人。字は松坡。日本の陸軍士官学校を卒業。帰国して辛亥革命に参加。雲南軍政府都督となる。のち、袁世凱の帝政復活に反対して雲南省の独立を宣言し、討袁軍を四川省に進めた。袁世凱の死後、四川省督軍に任ぜられたが日本で病死した[3]。
脚注
- ^ 县级以上行政区划变更情况 - 中華人民共和国民政部
- ^ 湖南省 - 区划地名网
- ^ a b 日本国語大辞典
外部リンク
固有名詞の分類
- 邵陽市のページへのリンク