清代における先天図批判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/30 18:56 UTC 版)
清代になると考証学が隆盛すると、先天図のような図象にもとづく宋易は否定されるようになった。黄宗羲は『易学象数論』において朱熹が先天図にもとづいて繋辞上伝の「太極-両儀-四象-八卦」を1爻ずつを2進法的に積み重ねたものと解釈して「太極(1)→両儀(2)→四象(4)→八卦(8)→16→32→六十四卦(64)」としたことを批判し、陰陽2爻を2画組み合わせたものを四象とするなど経文に根拠のないことを明らかにし、また邵雍も太極-両儀-四象-八卦と結びつけていないことを述べた。一方、胡渭は『易図明辨』において南宋初の朱震『漢上易伝』に「陳摶は「『先天図』を以て种放に伝え、放は穆脩に伝え、穆脩は李之才に伝え、之才は邵雍に伝う」とあるのを受けて先天図が儒教に由来せず道教の道士陳摶より伝わったものだとして批判した。なお胡渭は「古太極図」と呼ばれた図像が陳摶が伝えた先天図であるとしている。
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