清代の上海
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/05 08:46 UTC 版)
清代、韓邦慶『海上花列伝』に詳しい。 イギリス租界の中心に色街があった。妓女のランクは、高い順に「書寓」(もしくは「長三」)、「幺二常子」、「花煙間」、「野鶏」の順に高く、「人家人」という素人の売春婦もいた。妓女は妓楼に一人から数人いて、客が来ると、茶を出して、妓女が迎えた。妓女の部屋に客の知人を招いて、宴会か麻雀会を開くことで、なじみとなることができた。妓女は「先生」と呼ばれ、その多くがパトロンを持っていた。「幺二常子」の多くは妓楼に抱えられたものであった。 清末に阿片が流行し、妓楼では頻繁に客に提供され、好んで吸われた。色街には「烟館」という阿片を吸うための店もあった。また、麻雀やカードを使った賭博も盛んに開かれた。その頃には、梅毒などの性病に感染した妓女も多かった。
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