清代の司法制度素描
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/06 06:06 UTC 版)
「按察使 (中国)」の記事における「清代の司法制度素描」の解説
近代以降、といっても国によって種々違いがあるので、ここでは仮に日本の裁判制度との相違を念頭に置くと、按察使や知県といった行政官が判決を下し実行できる刑罰には、官職のクラスによって制限が設けられていた。知州・知県といった下級行政官の場合、判決を出し執行できる刑は、その刑が笞・杖・枷号レベルの場合に限られる。それ以上の罪に該当すると考えられる場合は裁判経過などの書類及び判決文原案、犯人の身柄を府や道に送致し、改めて裁判を吟味した上で按察使に送る。按察使はさらに再度審査し、さらに総督・巡撫におうかがいを立てる。それが徒罪である場合は、そこで漸く判決文原案が判決文となって刑が確定する運びとなる。流罪以上は、さらに中央官庁の刑部等の判断を仰ぐことになる。また死罪に関しては皇帝の認可が無ければ執行できない制度となっている。 なお裁判の性質という点からいえば、前近代中国において民事・刑事という区分は存在しない。というよりもあらゆる事案は刑事的側面がどの程度かという観点から分類・処理されていた。貧民同士の争いが殺害に帰結した場合、それは重大な事案となるが、ある有数の資産家の没後に起きた遺産争いは、刑事的要素が希薄であるから重要性は減じ、下級審クラスでも処理できると判断されるのである。
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