清代の塩政
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/01 01:02 UTC 版)
1894年、日本の帝国議会では清国の塩の価格が高いことを知った製塩業者の意向によって「清国に向ふ食塩輸出の建議案」が出されて成立した。ところが清国から帰国した調査団の報告書が逆に衝撃を与えた。それは清国の強力な専売制の元にある塩田と、江戸時代のままの製塩を行うところも少なくなかった日本の塩田では、技術力・生産量ともに清国の方が勝るというものであった。この報告で国内の製塩業界は、日本産塩の競争力の無さと外国産塩の流入の可能性に危機感を募らせ、1896年に大日本塩業協会の結成など官民挙げての塩業の近代化政策に踏み切らせることになった。
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