清代から日本統治時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/20 02:36 UTC 版)
清朝統治時代、台湾北部には淡水庁が設置され、淡水から台北への連絡路以外に金包里(金山)、鶏籠(基隆)を連絡する小規模な道路が建設された。また金山から魚路古道が陽明山を越え台北に連絡しており、陽金公路の前進となっていた。基隆から宜蘭までの交通は草嶺古道により連絡されていた。 日本統治時代になると台湾総督府は台北-淡水(台北淡水道)、淡水-基隆(淡水金山道、基隆金山道)、宜蘭-蘇澳(宜蘭蘇澳道)の間に自動車道路を建設、福隆から蘭陽渓北岸までは軍事道路が建設されている。また、淡水~基隆は大屯裏街道と呼ばれていたこともある。
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