イギリス租界
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/18 16:48 UTC 版)
詳細は「イギリス租界(中国語版)」を参照 第二次阿片戦争(1856-1860年)後に結ばれた北京条約により、同戦争中の1858年にロシア・アメリカ・イギリス・フランスと清国が結んだ天津条約の完全履行が定められた。この天津条約により長江沿いの南京や漢口など複数の港が開港された。中国大陸の南北を結ぶ京漢鉄路予定路線と東西を結ぶ長江水運の結節点としての漢口の重要性を認識したイギリスは、1861年にハリー・パークス卿が乗艦した海軍艦を派遣して中国側に圧力を掛け漢口に租界を設けることを認めさせた。日清戦争が始まるまでは、イギリス租界が漢口に作られた唯一の租界であった。 1927年、武漢国民政府の治外法権撤廃要求を受け入れたイギリス政府は漢口イギリス租界を廃止することに同意し、3月に漢口イギリス租界は国民政府に回収された。
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