1937年・上海
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1937年8月の第2次上海事変により日本軍は上海周辺地域から南京まで占領していた。ヨーロッパから逃れてくるユダヤ人が住み着いたのは日本人が共同生活をしていた国際共同租界の中であった。 この国際共同租界はアヘン戦争後の南京条約によってイギリス租界として設置されたものであり、その後アメリカ租界、フランス租界もできて、1899年にイギリス租界とアメリカ租界が合体して発足したものだった。当初はイギリス人居留民が最も多かったが、第一次世界大戦中に日本人居留民が最も多くなり、1932年の第1次上海事変で上海海軍特別陸戦隊が蘇州河以北の警備を担当して以来実質的に日本租界となっていた。 中華民国当局は警察、施設管理、入国審査の権限をイギリスを始めとした列強に奪われており、自治委員会がこれらを実行していた。日本軍と中華民国南京国民政府はパスポートに関する社会体制を整えなかった。このため上海港は世界中で唯一ビザ無しで訪れることのできる場所となった。中華民国と列強の不平等条約は続いており、上海を訪れるには欧州からの旅券を見せるだけでよかった。 ドイツ系ユダヤ人の到着までにも上海には多くのユダヤ人が訪れ、二つのユダヤ人社会を築いていた。カドーリエ家とサッスーン家を含む豊かなバグダッド系ユダヤ人社会と、1917年の10月革命で国を追われたロシア系ユダヤ人達が築いたロシア系ユダヤ人社会である。
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