中国にてとは? わかりやすく解説

中国にて

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/23 23:06 UTC 版)

オットー・ブラウン (共産主義者)」の記事における「中国にて」の解説

ブラウン1932年博古中国共産党総書記をしていた上海中共臨時中央赴任する。しかし1933年1月、その中共臨時中央の上海での活動難しくなったため、博古と共に周恩来事実上支配していた江西省中央ソビエト移ってきた。この地でブラウン通訳務めたのは伍修中国語版)であり、彼は後の回想録ブラウンについて詳しく記録残しているので、中ソ対立期の中国側から見たブラウン像は伍の回想録によるところが大きい。 博古はこの時26歳であったが、赴任早々中共中央局を組織し周恩来に取って代わる中国共産党トップ任されたのは、博古ソ連留学経験があり、ソ連コミンテルン後押しがあったためだった博古軍事暗かったため、軍事顧問ブラウンに、紅軍中共軍)の全権渡した赴任当初1932年から1933年にかけては蔣介石指揮する中国国民党軍撃退する功績挙げている:52。もっとも、ブラウン自身後年回想によれば、この時のブラウンあくまでも指揮権持たないアドバイザー役であり、後の敗戦による瑞金撤退責任自分には無いと語っている:61通訳の伍修回想録によれば瑞金ブラウン一戸建て住み、伍修と王智濤、警備兵炊事員、馬丁などを住まわせていた。博古もよく遊び来ていた。食事饅頭嫌ってパン要求するなど、贅沢であった。ここでブラウンは党の斡旋女工蕭月結婚するが、妻ではなく愛人であったともいう。もっとも、瑞金食糧女性不足しており、党幹部行動とりわけ外国人であるブラウン行動目立ち、伍修実質以上に大げさ伝えた可能性指摘されている:90-95。 ただしブラウン独断専行に、中国共産党将校達は不満を持っていたともいう。特に軍の指揮権1932年10月取り上げられていた毛沢東にとっては、ブラウンは目の上コブであった1933年10月蔣介石指揮する中国国民党軍により、中央ソビエト第5回討伐始まった国民党軍にはこの年5月から中独合作一環としてドイツの軍事顧問ハンス・フォン・ゼークト赴任していた。ゼークト蔣介石対しこれまでの作戦転換して陣地築きながら少しずつ前線進めることを進言した。一方ブラウン軍事経験乏しく数的な不利にかかわらず消耗戦展開した中共軍必然的に徐々に追い込まれ、ついに1934年10月江西撤退決意しいわゆる長征の旅に出る。 中国共産党これまで博古ブラウン周恩来で「三人団」を形成して重要事項決めていたが、黎平にたどり着いたとき、ブラウン周恩来激しく対立した1935年1月貴州省にたどり着いたとき開催され遵義会議で、周恩来毛沢東寝返ったこともあり、ブラウン敗戦責任問われ博古と共に解任される。 ただしその後長征参加して軍事教育研究工作あたった1935年9月張国燾の軍が共産党から分裂した際には、毛沢東側を支持している。その後共産党軍延安到着し、しばらくはそこを拠点とすることになる。延安ではアメリカ生まれ医師ジョージ・ハテム(英語版)と同居した。それまでは時々主要な会議呼ばれていたが、1936年頃からは呼ばれなくなった役目無くなったブラウンは、モスクワに対してたびたび帰還命令を出すよう要請していた。しかし軟禁されていたというわけではなく、共産党応援のために延安入った国内外からの支援家などを自宅招いて接待当たっていた。1937年上海から延安に来た歌手李麗結婚している。当時延安男女比18対1であり、ブラウンはこの点では恵まれていたと言える:192-196。 1939年ソ連から突然の帰国命令が出る。この際ブラウンは妻の李麗連れて帰ろうとしたが、入国許可証が無いことを理由許されなかった。見送りに来た周恩来後で李麗送り届けると言ったが、結局実行されなかった。

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