叙勲(じょくん)(The Japan Scholarship Foundation)
国家または社会に対する功労者を対象に、国が旭日章または瑞宝章のいずれかを毎年春と秋に授与すること。栄典のひとつ。
叙勲のうち、「旭日章(きょくじつしょう)」は顕著な功績を上げた人、「瑞宝章(ずいほうしょう)」は公共的業務に長年従事してきた人が対象となる。それぞれ、大綬章・重光章・中綬章・小綬章・双光章・単光章と6段階に区分されている。
特に、功績が大きいと認められるときには、最高位である大勲位菊花章頸飾(だいくんいきっかしょうけいしょく)などが贈られる。
政府は3日付で、秋の叙勲受章者4068人を発表した。2002年に閣議決定した栄典制度の見直しに基づき、従来の「勲一等」などのように等級を数字で表さず、簡略化した。民間の受章者は過去最多の1648人で全体の41%を占めた。
「ゲゲゲの鬼太郎」で知られる漫画家の水木しげるさん(81)と俳優の八千草薫さん(72)は旭日小綬章を受章した。
(2003.11.04掲載)
受賞・叙勲
贈答慣習
春の叙勲・秋の叙勲と国が年二回に分けて勲章や褒賞を授与しますが、受けられた方にとっては大変名誉なことはもとより、身内の方にとっても大変喜ばしいことです。
披露を兼ねて長年の協力と尽力に感謝して叙勲授章者が開くパーティと、友人や同僚など周囲の方が叙勲授章者の為に催す祝宴などがあります。
また、勤務先や民間団体などから表彰されるものには、勤続表彰・論功行賞・功労表彰などがありますが、表彰状と併せて副賞が贈られます。また特に栄誉ある表彰を受賞された場合にはお祝いを贈ることも少なくありません。
お祝いを贈る時期
いち早く駆け付けて共に喜んであげるのが一番のお祝いとなりますが、 お祝いを贈る場合は決定を確認後遅くとも一週間以内に贈ります。また、祝賀パーティが催される場合は当日出席する際に持参します。
お祝い返しの時期
叙勲者自身が開くパーティでは当日の引き出物として、周囲の方に開いて貰った祝宴ではお祝いの金品を戴いた方も合わせて一週間以内に贈ります。
一般的な表彰祝いの際はお礼状程度に留めるようですが、気になる先様には一週間以内に贈ります。
ひとくちMEMO
叙勲や輝かしい受賞には、十本結切り(のし紙)、金銀結切り・金銀あわび結び(金封)を使用する場合もある。
ご贈答のマナー
贈答様式 | 贈り元 | 献辞(表書き) | 慶弔用品 |
---|---|---|---|
受賞に祝い品を贈る | 身内 身内以外 |
○○受賞御祝 御叙勲御祝 ○○授章御祝 受賞御祝 |
【のし紙】花結び祝 |
受賞に祝い金を贈る | 身内 身内以外 |
【のし袋】花結び祝 【金封】赤白花結び/赤白あわび結び |
|
祝い返し | 本人 | 内祝 叙勲記念 |
【のし紙】花結び祝/赤棒 |
使用例(のし紙/金封/のし袋の様式)
のし紙/金封/のし袋の様式 | 使い方 |
---|---|
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叙勲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/27 22:28 UTC 版)
イギリス
イギリスには貴族が有する公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵の爵位と、これらの下位の爵位とされる准男爵とナイト(騎士)がある[1]。爵位を有する場合でも下位の爵位を兼ねることができる[1]。
ナイトにはガーター勲章、シッスル勲章、バス勲章、メリット勲章、聖マイケル・聖ジョージ勲章、ロイヤル・ヴィクトリア勲章、ブリティッシュ・エンパイア勲章(大英帝国勲章)という序列があり、それぞれ騎士団が構成され、その構成員を示す団員章として勲章が授与される[1]。
ナイトの下には騎士団に属さない下級騎士であるナイト・バチェラー等があるほか、他の褒章としてクロス章やメダルなどがある[1]。
フランス
フランスには最高位の国家勲章として5等級からなるレジオンドヌール勲章がある[1]。また、大統領が授与者となる勲章として国家功績勲章がある[1]。このほか芸術文化勲章(文化省が授与)などがある[1]。
ドイツ
ドイツではヴァイマル憲法が勲章及び栄誉記章の授与を禁止していたが、ナチス政権下では勲章等の授与が実施されていた[1]。
第二次世界大戦後に勲章の授与は停止されていたが、1951年の「ドイツ連邦共和国功労勲章の創設に関する通知」により再開[1]。連邦大統領が授与者となる勲章としてドイツ連邦共和国功労勲章、ジルベルネス・ロルベールブラット章(スポーツ分野)、プール・ル・メリット科学芸術勲章(科学芸術分野)などがある[1]。
日本
日本には明治になるまで記章を授与する制度はなかったが叙位・叙勲の制度はあった[1]。
叙位は位階(正一位、従三位など)を授ける制度で603年の冠位十二階の制に始まる[1]。叙勲は勲位(一等から十二等まで区分)を授ける制度で、本来は武人など勲功を挙げた者に対して授与されたもので701年(大宝元年)から始まった[1]。日本の律令法(官位令)では、勲一等は位階正三位、勲十二等は従八位下に相当するとされた。大宝律令制定とともに始まったこの制度は、藤原仲麻呂の乱(恵美押勝の乱)で孝謙上皇側が自派の将兵に勲位を濫授したことで知られている。しかし、叙勲は941年の藤原純友の乱(承平天慶の乱)以後ほとんど行われなくなった[1]。

明治時代になると西洋の諸国にならって勲章や褒章の制度が設けられた[1]。日本で初めての勲章は1867年のパリ万国博覧会で薩摩藩がフランス政府高官に進呈した薩摩琉球国勲章であるとされている[1]。
近代日本の叙勲制度は1875年の「勲章従軍記章制定ノ件」(太政官布告第54号)公布によって開始され、その際に勲位は勲等と改められた。当初は勲八等までで賞牌が授けられることとなっていたが、翌年に二等分増やされて十等となり賞牌も勲章に変更された。また、当初は武官のみを対象としていたが、1883年には文官、1892年には教育・社会分野と拡大され、広く国家に功績ある人物に対して贈られるようになった。第二次世界大戦後の1946年に生存者に対する叙勲は中止されたが、1963年7月12日に生存者叙勲が復活して翌年より春と秋に叙勲が行われるようになった。2003年には勲等の数字表記が廃止されて、勲章の格付概念としてのみ残されるようになった。
平成23年度春の叙勲については、2011年3月11日に発生した東日本大震災の被害を考慮し、外国人叙勲、同褒章、第16回危険業務従事者叙勲とともに発令の延期を2011年3月24日に発表した。制度制定以来初のこととなる[2]。6月18日付けで発令され、4064名が受章した。
平成31年春の叙勲については、2019年5月1日の改元の関係から延期されることが2月26日の閣議決定事項として発表されており[3]、令和に改元された後の5月21日に令和元年の春の叙勲が発令された[4]。
なお、日本の叙勲は、戦後になっても職業格差が存在する。小川賢治は「大臣・国会議員・国公立大学教員・法曹官僚が最も高い等級の勲章を得、自衛隊出身者と私立大学教員が中程度の勲等に位置し、最も低位の勲章は警察官や消防官などに与えられている」「官僚と経営者は職位や企業規模によって勲等が決定されており、一般に階統性が存在している」として、「受勲者間に職業上の格差が存在し、そのヒエラルキーの頂点には極く限られた者のみが叙せられている」と指摘している[5]。叙勲に際して、官:民の比率を約6:4とする慣習も残っており、「長年にわたって地域社会に貢献してきた人よりも、選挙で選ばれたわけではない自治体幹部などが優先され、その地域社会の人たちも不自然に思うほど官民のバランスがとれていない」として、官尊民卑の傾向が強いとも指摘される[6]。
アメリカ合衆国
アメリカ合衆国の勲章や褒章の制度は、欧州諸国の勲章制度のように騎士団の団員章としての性格を持つものではない[1]。文民を対象とする大統領功労勲章などの勲章も存在したが、勲章の多くは軍人を対象とするメダルやクロス章などの戦功章である[1]。
その他の国々
ロシアではロシア連邦英雄など、中華人民共和国では共和国勲章などの叙勲が、随時行われている。
脚注
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r “『調査と情報』829号 勲章・褒章制度”. 国立国会図書館. 2017年8月18日閲覧。
- ^ 春の叙勲、発令を延期(読売online、2011年3月28日閲覧)
- ^ 本年春の叙勲等の発令日について - 首相官邸ホームページ
- ^ 寺田前最高裁長官に桐花大綬章=市村正親さんら旭日小綬章-春の叙勲 - 時事ドットコム 2019年5月21日
- ^ 小川賢治『戦後日本の受勲者における職業間格差』社会学研究会、1986年。doi:10.14959/soshioroji.30.3_97 。2020年3月14日閲覧。
- ^ “栄典制度の在り方に関する懇談会第3回議事録 : 日本の勲章・褒章 - 内閣府”. www8.cao.go.jp. 2020年3月14日閲覧。
参考文献
- 神谷正昌 「叙位・叙勲」『歴史学事典 12 王と国家』 弘文堂、2005年、ISBN 4-335-21043-4、ISBN-13:978-4-335-21043-3。
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