生き方について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/11 17:09 UTC 版)
ボランティアを本格的に始めたのは、大分県別府市にあった店を閉めた65歳のころ。「学歴も何もない自分がここまでやってこられた。社会に恩返しがしたい」と思ったからと、全国各地で車中泊しながら、ボランティア活動を行ってきた。 「人に、世の中に、恩返ししたい」が口癖。 広島県廿日市市を旅している時に、通りすがりの夫婦から「旅の足しに」と千円を受け取ったことが、2018年に広島入りする動機の一つになった。 プレジデント編集部の取材に対し「正直言えば、私は私が怖いんです。放っておくと悪いことをするのではないかという恐怖です。毎日自分を振り返っては、自分自身が悪いことをしたととにかく叱りつけている。これからも私は常にボランティアをして、感謝を続けるしかないんです」と答えている。 活動費は自分の月約5万5000円の年金から捻出。貯金はゼロに等しい。尾畠は一方で、「商売人ですからカネには執着している。それは今も同じ」だが「無いものは追っても仕方ない。私は逃げるものは追いかけない主義です。その時の状況に応じた生活をしているだけ」と述べている。 78歳時点での将来の夢は「夜間の高校に行って勉強したい」。 2018年現在、健康保険証は11年使用していない。大病は40歳の頃の腸捻転だけ。自宅にいる時は毎日8kmほどジョギングをする。 健康の秘訣を体にいいものを食べることといい、タンポポ、オオバコ、ドクダミ、ヨモギなどの野草を集め、茹でて酢醤油で食べている。桑の葉が特にうまいという。この食生活は登山を始めた40歳の頃から続けているが、家族には勧めないし、家族で食べているのは尾畠だけだという。 「カミさんは、いまは旅に出ている。一人旅です。「自由にしたい」って。5年前に出かけて…、まだ帰ってない」と語った。今の自宅は妻と老後をゆっくり過ごすために買ったもので、妻も鍵は持っている。いつでも帰れる状態にしている。 息子は公務員で市役所に勤めており、「魚屋を継いだほうがいいかな」と聞かれたことがあるが、そのときは「お前には継がせないよ」と怒った。自分の人生は自分で歩むべき。私は子供に対してどうこうしろと言ったことはない。国民の義務さえ果たしていれば何をしてもいい。 携帯電話もカーナビも使ったことはない。 かつてはヘビースモーカーでピースを2箱吸っていたが、当時高校生の孫に、「65歳を過ぎると体力が急激に落ちるから絶対にやめろ」と言われ、孫の言うことは天の声だと思い、その場ですべて燃やした。 「来る人は拒まず。しかし、マスコミはすぐいなくなるでしょう。私なんて一過性のもの。日本人は熱しやすく冷めやすい。自分のことなどすぐ忘れる。花火では線香花火が好きだが、小さくて長持ちする、そんな生き方がしたい」と発言している。 2018年9月23日TBSテレビ『情熱大陸』で、「多分、今現在やってることも、行動言葉諸々のことをウチのお袋はじぃっと、オバタハルオのこと見てくれてると思う。だから、いつか自分が逝った時に、お袋から思いっきり、背中の骨が折れるくらい、胸のあばら骨が折れるくらい抱きしめてもらいたいね」と述べた。
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