儒学史における位置
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/07 07:51 UTC 版)
人の本来の性質をめぐる人性論は、孟子の性善説・荀子の性悪説にみられるように、古代より多く論じられてきた。唐の韓愈は性三品説(人は上知・中人・下愚に分けられるとする考え方)を支持し、この説に基づいて道徳論を展開したが、周敦頤の考え方はこれと異なる立場をとるものであった。彼は『太極図説』『通書』の中で、各人の根本に「太極」に通じる「誠」があること、各人の学問による研鑽が聖人の道へ通じることを示した。これは、性三品説と異なり、万人が学問を通じて聖人に近づけるということを意味した。この見解は、従来の貴族に代わって宋代より新たに勃興する士大夫の意向にかなうものであった。 ^ 島田虔次『朱子学と陽明学』岩波新書、1967年5月20日、30-31頁。ISBN 9784004120285。 ^ goo辞書 光風霽月
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